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西東京市企画部の斎藤治参与(右)・清水誠主任(左) |
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対等合併
「西東京市」誕生へ |
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田無、保谷両市の合併協議は「少子高齢化社会に対応するには、合併で財務体質を強化し、行政の効率化を図ることが不可欠」とする行政の主導でスタート。両市長が強力なリーダーシップを発揮し、議会と両輪となって進めてきたことが、任意の合併推進協議会発足からわずか2年半で合併に至った要因といわれる。
住民の意見を合併に反映する「市民意向調査」は全国でも初の試みで、各方面から注目を集めた。取材をした大多和理事は「住民の要望を行政が先取りした先進的なケース。新市名、新庁舎の位置など合併には都市間の確執が避けられないものだが、ここまでスムーズな合併は珍しい」と評価した。 |
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■”平成の合併“ |
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田無、保谷両市が合併で目指したものは「行財政改革」。政令市昇格を目指したものでも、国家プロジェクトなどの大規模開発を行うためでもない。これが新しい形の”平成の合併“といわれるゆえんだ。田無市を保谷市が包み込むような凹型地形ゆえの不便性を解消するとともに、地方分権に対する受け皿づくり、本格的な少子高齢化社会に備えた行財政基盤を確立する必要性から両市は合併への道を選択した。合併効果は十年間で百八十九億円と試算され、その財政的余力で行政サービスの向上を実現するシナリオを描く。
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説明を受ける大和田氏 |
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前へ進める
工夫 |
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新市名、新庁舎の位置、合併方法をめぐって合併論議が遅々として進まないケースが多い中、両市の合併は足掛け四年、任意の合併推進協議会発足からわずか二年半というスピードだった。合併を公約に当選した両市長がけん引力となったのは言うまでもないが、田無市・保谷市合併協議会事務局長を務めた西東京市企画部の斎藤治参与は「過去に二回、合併話が持ち上がっては消えた経験から、合併協議をレールから外さず、
前へ進めるための仕掛けをした」という。法定の合併協議会の議事運営において「全会一致を原則とし、意見が分かれた場合は三分の二の賛同をもって議事を進める」という申し合わせがその一つ。また「合併協議会は月二回開催」とし、合併期日へ向けて後ろからスケジュールを設定したことも挙げられる。四回目の合併協議会までに、合併方式は対等、新市名は公募方式とすることが確認され、新庁舎は合併の目的からも、新たに建設はせず、現行の市庁舎をそれぞれ有効活用することが決まった。 |
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