澤木 中山雅史選手は44歳で一時引退し、この9月にアスルクラロ沼津(以下、アスル)への電撃入団を発表。同5日に初めてチーム練習に加わり、ピッチに立ちました。
中山 試合に向けた練習に参加させてもらったのでチームに迷惑をかけてはいけない。精一杯力を出さないと、ついていけない。ヘラヘラしたような姿を見せるわけにはいかない、真剣にやっている選手たちに失礼だ。決して生半可な気持ちでは来ていないというのを、プレーや声、姿勢で見せていかなければならない、という緊張感でいっぱいでした。
澤木 10月3日に行われたソニー仙台FC戦はベンチ入りこそしなかったものの、集まったお客さんが8300人。通常は3000人前後だそうです。グッズやユニフォームの販売も好調でした。
中山 ありがたいことです。僕だけを見に来ているとは思いませんが、自分が参加することの効果を実感して少し恐くなりました。今、自分はどこまでプレーができるのか。その不安と皆さんの期待とにギャップがあるので、それを埋める作業が非常に大変です。
澤木 10月11日は古巣ジュビロとの練習試合に出場しましたね。
中山 サッカー番組で自分のプレーを見て、全然できていないことに気付いて落ち込みました。もっと自分を鍛えないといけない。そうすればやっていくうちに体が反応できるようになる。ただ、それができるようになるには連続した練習が必要です。アスルで1回ハードな練習をすると、膝に水がたまったり、痛みが出たりする。それを東京に帰って良い状態にケアしてもらって、また沼津に来る。そこにどうしても間隔が空いてしまいます。沼津の練習に参加できなくても、東京でもう少し、心肺機能や筋力を高めていかないと、自分の目指す、チームへの貢献度にはほど遠いと思っています。
澤木 なぜ現役復帰したいという強い気持ちが湧き起こったのですか。
中山 札幌を退団する時に、会見で「引退」の文字は使いませんでした。リハビリを続け、良い状態まで戻せたら、またプレーヤーとして立ちたいという願望はずっとありました。膝も厳しい状態であることは把握していたので、まずは楽しくサッカーができればいい。しかし、一つ一つクリアしていくと欲が出てくる。このままチームに所属もせず、何の目標も持たずに、何を求めていくんだという部分で、それならばまず飛び込んでみようと。
声をかけてくれたのが山本昌邦さん。アスルクラロスルガ会長であり、山本社長のお兄さんです。報道では現役復帰と言われるが、そんなに大げさではなく、チームに属し、そこから挑戦の始まりというのが僕の中の意識です。
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