嘉永七(1854)年、日米和親条約が締結され、下田は日本で最初にアメリカ人が自由に往来することができる町となった。それはまた下田が、一般人が直接的に外国人と接触することを許された日本で最初の民間異文化交流の場所となったことを意味している。そしてこの「異文化交流」こそ下田が今後、全国に向けて情報発信できる最大のテーマではないだろうか。
私はここ十年、東京で在日外国人のために仏教セミナーを企画運営しているが、その参加者である外国人が口を揃えて言うのは「日本の文化について知りたいのだが、ほとんどの日本人は質問されてもまったく答えられない」である。年中行事や慣習など、日常的に行われていることの意味を理解している日本人は一体何人ぐらいいるのだろう。近年、『国際化』が叫ばれ、外国に関する情報はあふれているが、真の『国際化』とは相手を理解するだけではない。相手に自分を正しく理解させることも必要不可欠である。その意味で『異文化交流』『国際化』の原点は自分の文化の理解にあるといっても良いだろう。
サンフロント21懇話会では、下田に『日米修好センター』の設立を提言しているが、異文化理解と自文化理解の両方を基礎とした異文化コミュニケーションについての情報発信を下田に望みたい。それは横浜でも、神戸でも、長崎でもできない、全国で下田だけに許された特権であり、責務であると信じている。
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