サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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第9回富士地区分科会 平成16年2月10日(ホテルグランド富士)
パネル討論 テーマ:「ものづくり  人づくり 街づくり」

<パネリスト>
藻谷 浩介 (日本政策投資銀行地域企画部参事役)
長谷川武彦 (ヤマハ発動機(株)顧問)
児嶋 準一 (NPOコミュニティ・シンクタンクふじ理事長)
大石 人士 ((財)静岡経済研究所研究部副部長)
<コーディネーター>
大坪  檀 (静岡産業大学学長)


◆大坪 「ものづくり、人づくり、街づくり」をテーマにパネル討論を始めたいと思います。今までは失敗学の話でしたが、これからは成功学の話です。どうしたら成功するかです。両方聞いていただくと参考になると思います。とくに富士地区は工業地区でもあり、富士山の町でもあります。きょうは富士山が大きく見えました。この地域が発展していくにはどうしたらいいのか。自由奔放にお話しくださればと思います。まず、藻谷さんからお願いします。


全国で一番大型店のない街

◆藻谷 小さい頃から旅行が好きで、旅行ばかりしていました。現在、国内の市町村はほぼ全部、海外は50ヵ国ちょっと行っています。そして今、講演して歩くのが仕事になっているので、今日も雪国の新潟県村上からいきなりやってきました。あまりに富士山がきれいで衝撃的でした。改めてこの地域に住んでいる人たちがいかに恵まれているか思い知らされました。
 統計数字などをいじっていますが、数字の言っていることと現場で見ることが逆のケースが極めて多い。とくにまちづくりの面ではものすごく多いんです。数字を見ていると元気に栄えているに違いないと思える町に実際に行って見ると死んだ町が広がっているというケースがあまりに多い。もう一つずれているものがあって、全国平均の平均値と現実です。皆さんとても平均が大好きでして、東京がこういっているんだからこうあるべきだとおっしゃる。しかし、数字と、行って見た現実と平均値、この3つは常にズレています。これが最近の私の観察なんです。
 富士市は全国から見てもまれなる平均値から外れたところが何カ所かあります。まず、このご時勢に市の財政がいい。なぜかという皆様、産業界の方々が不況にもめげずに、国際競争にもめげずに闘ってこられたことに尽きます。さらに非常に若者の多い町です。そもそも東京にすぐに遊びに行けるし、気候はこちらの方がいいですから東京に出る必要はない。日本一の富士山の麓です。よそから来た人に地元の自慢をしようと思ったらすぐに出来ます。
もう一つ、町に人が歩いていない。逆の極端として非常に顕著です。新富士駅に新幹線が停まると、どっとビジネスマンが降りてくる。活力ある街のはずなんですが、一目でそれが分かるところがない。
 ご存じでしょうが人口20万以上の街で、富士市は全国で一番大型店のない街です。平成以降の大投資が全くない。富士宮と併せると40万都市圏なのに百貨店がない。これは全国的に見て特異なんです。豊橋で百貨店がどんどん潰れているのを見ていると、富士は遅れているのではなく進んでいるのではないかともいえますが、これでいいのか悪いのか。
 もう一つ、経済力のあるうちにこの商圏を生かして街をつくるかが富士の大きな課題だと思います。同じ規模の、例えば長崎県の佐世保市なんかに行って何が違うのかをご覧になると逆に見えてくると思います。


チャレンジスピリットが一番のコア

◆大坪 最近本をお書きになって、感動というものはものすごく大事だと。感動創造企業という言葉をつくられた長谷川さん、お願いします。
◆長谷川 今日は富士山を見て、富士山とヤマハ発動機は何か関係があるなとつくづく思っています。ピアノ会社がオートバイをやろうという決断をしたのは昭和29年でした。今から50年前、オートバイ産業が戦後、日本に生まれて150社ぐらいあったその最後発でした。戦時中、木製のプロペラを軍から頼まれてつくり、それが戦争末期に金属ペラになり、それをつくるためドイツから買った機械が戦後凍結され天竜の奥にあったのです。それを何とか産業に転換しようということで、いろいろ考えた末、当時の川上源一社長(故人)が「オートバイをやろう」と。
 本当に最後発でしたから生き残っていくにはどうしたらいいのか。まず、富士登山レースに勝とうという戦略で、1合目、2合目を駆け上がるレースをやったんです。昭和30年に第1回レースがあり、それに勝ちました。第2回も勝ちました。来年が50周年の節目を迎えるんですが、50年間どんなことがあっても、このチャレンジスピリットが、当社の一番のコアになっております。もう一つ、世界に通用しないものは商品じゃないと川上さんからガンガン言われました。
 この2つの薫陶を受け今日まで45年間やって来ました。私は決してエリートではありませんで、ヤマハは3つ目の会社です。中小企業でオートバイの設計をやっていたのをスカウトされたのです。新しいことにどんどんチャレンジし、どんどん失敗をし、しゃにむに突っ走るということをやって来て、昨年の6月にリタイアし、それを振り返り「感動創造」という本にまとめました。
 ずっと見てきますと、確かに世の中はどんどん変わりつつあるんですが、変わらないものもあると私は思っています。ものづくりの底辺に流れるものは、まず変わらないだろうと。それが日本のものづくりの特徴でもあり、これを失ったら日本でものづくりをやる意味がないと思っています。
 産業のあり方について、世の中がすでに変わっていますから、戻ることはない。変化に対応するんじゃなくて、私は適応だと思います。適応していくと言うことは変化と共に生きるということをまず基本的に持っていないと生きられない。
 もう一つは、この変化というものをやはりチャンスだと思うこと。変化はチャンスというプラス思考を絶対に持っていなければいけないと思います。やはり変化があるということは、ものを考えなけりゃいけない。考えるという大きなチャンスになります。


本物志向

◆長谷川  きょうはこれからの産業とか企業の経営を一般から見たとき、どの事業でも恐らく基本的にあるだろうという2点をお話したいと思います。
 一つは競争力といいますか、それに伴って価値というものを自分のところでどうやって作り出していくのか。ある価値というものを創造していかないと競争も乗り切れない。もう一つ、そういうものをやるのは結局、人がやるわけです。あるいはチームで。
 まず、競争力といいますか、如何に新しい価値を創造していくかということですが、私はいつも本物志向でなければいけないと思っています。横並びの志向というのは、やめた方がいい。横並びでやると、また先方も気が付いてその一歩先を行く。先生から教えられ続けた生徒は、なかなか先生を追い越すことが出来ない。横並び志向に安心してしまって、コストだけ下げて競争の優位をつくるくらいでは、現在の業界や市場の変化の中、消費者、ユーザーはどんどん賢くなって、そんなものじゃごまかされない。
 最近、中国の問題が大きくなっています。確かに一時は中国に仕事が持って行かれ、いろいろな関連企業に空洞化があった。最近、空洞化を乗り越えてきた企業も出てきました。そもそも自分の仕事は何だったのかということをよく考え、それなりの特徴とか強みをさらに伸ばしていこうと苦しいけれどそれを生かす努力をされて、今生き残って新しい需要とかマーケットを自分で切り開くところが散見されます。これも変化に対する一つのチャンスといいますか、プラス志向が働いた結果ではないかと思います。
 本物志向といいましたが、本物志向って何か。私の解釈はやはり時代を生き抜いて、時代を超えて生き残ってきたものに共通するものがあると思うんです。商品の中でも合理性を追求した商品はまねがしやすいものですから、あちらこちらで横並びで出て来るんですが、ずっと見ますとこれも一番手と二番手しか残らない。あとは全部淘汰されてしまう。その残ったものをよく見ると、さすがよく考えて合理性を追求しているなと思います。
 時代を超えて生き残った、そういうものから学ぶということ、これが私は本物だろうと思う。本物を追求する中で感動創造ということを言っています。いや凄い、さすがだなと人にいわれる。そこに感動というものが生まれると思うんです。


感動創造を会社の目的に

◆長谷川  十数年前に「感動創造」を会社の理念にしようとやってまいりました。人とか、世の中に感動を与える、そういうものを提供する。それをわれわれの企業理念にするんだと。これを5年前から会社の目的に私は変更しました。そのために会社が存在しているということです。
ユーザーとか世間の人は、メーカーは大体こういうことをやってくるだろうと予測している訳です。この会社だったらこのくらいだろうと。この期待を裏切るというか、これをはるかに超えたもの、時にそこまでやるのかというところに、私はコンセプトを持っている。それぐらいのレベルでなければ意味がない。一つの驚きといいますか、感動といいますか、それを見たときにそれをつくった技術者やメンバーが自分もやってよかったと。新しいやり甲斐とか、生き甲斐というものを感じている。それをまた、じゃあ次もということで、いわゆる感動サイクルというものが上手くできる、そういう仕組みになればいい。自然体でできるような仕組みが、私はベストだと思います。
 やはり志というか、その言葉は大事なんです。そういう感動はすぐに作れるものではない。失敗をするわけです。失敗をしたときの感動もあるんですが、失敗を乗り越えて、やっぱり上から叱られてもこれはやろうじゃないかという、それが志なんですね。同志という連中が集まってそれをやっていく。当社の場合は、そういうことを比較的自由闊達にやってきました。やはり志ということを大事にして、われわれ「長」というのは、そういうものを見たとき、それを励ますということですね。励ますパトロンといいますか、そういうことをやって来たわけです。


NPOで街づくりのお手伝い

◆大坪 感動へのチャレンジというお話は、ものづくり、人づくり、街づくりのためには大変示唆に富んだお話ではなかったかと思います。次に児嶋さん、NPOコミュニティ・シンクタンクとは何か、どういうお仕事をされているのかから、お話いただけますか。

◆児嶋 生まれは福岡県飯塚で、初めは石炭を掘る会社に入り、エネルギー革命の波をかぶり転職し、一昨年まで務めていました日本食品加工に入りました。東京オリンピックの年に田子の浦港に工場ができ、昭和39年から旧吉原市民になって40年、皆さんのお世話になり、2年前に退任しました。一昨年の暮れ頃から行政の方から誘われてNPO法人の「コミュニティ・シンクタンクふじ」を立ち上げ、昨年秋に理事長ということで約40名のスタッフで発足させました。このシンクタンクは、まちづくりがテーマです。NPOの仲間は、どちらかというと一般市民、個人個人の集まりで、市民のいろいろな思いをまちづくりのために行政に提言したり、市民のサイレントマジョリティを集めて、まちづくり、ものづくり、ひとづくりに参画できればいいかなと思っています。
 最初の仕事は富士市から宿題をいただきました。600億円くらいの市の一般会計の中で30億円弱の補助金をいろいろな団体に出していますが、この補助金を一つ見直して欲しいと。10年一日のように今まで受益団体に予算を組んで渡していたが、こういう時勢だから客観的に一般市民の目から補助金の見直しをしました。夏から11月頃にかけて補助金とは何ということから勉強して、約300団体弱の補助団体の方たちと、われわれと行政で3者面談をやり、使い方やその結果をヒヤリングして、そのスコアカードをつけました。われわれが見直したのはあくまで参考で、最後は市長がジャッジするんですが、16年度の予算の補助金が2億円弱ぐらい前年比よりセーブされた。第3者機関が初めて市の補助金の仕組みの中にタッチしたといういうことに意義があるということで、自己満足させてもらっています。
 もう一つ、今年の正月から市民の満足度調査に取り組んでいます。商店街の活気はどうですか、道路整備はどうですか、環境問題、産業はどうしたらいいのか、商業はどうしたらいいかというような90数件の設問をしまして、24万市民の最大公約数ということで3000名にアンケート調査をしています。3月までにまとめて行政に反映させていただければ幸いだなと。こういうことをやっています。
 静岡県には300近いNPOがあり、富士市内では私たちが20番目の認定をもらったNPO法人です。市内には現在、27、8あるんじゃないかということで、これからは市民活動といいますか、そういうものが市の行政とか、まちづくりに反映されていくんじゃないかと思います。私たちもそういうことでまちづくりのお手伝いが出来ればなと思っています。


オリジナリティなど3つのキーワード

◆大坪 大石さん、お願いします。
◆大石 今日はサンフロント21懇話会の調査機関TESSの研究員という立場で参加させていただいています。 
 岳南地区の2市1町、人口は40万人弱ありますが、合併の話とかはあまり盛り上がってはいませんが、個人的には30万から40万人規模の都市が一番効率的ではないかという考えを持っています。富士、富士宮、芝川の富士地区は本当は一体的に取り組める地域ではないかと思っています。
 「ものづくり、人づくり、街づくり」について3つほどのキーワードを挙げておきたいと思います。一つは、オリジナリティというものが非常に重要になるんじゃないかと思います。独自性だとか、個性だとか、強みだとか、いろいろあると思いますが、もの、あるいは企業、人でも、街でも、地域でも、オリジナリティがどれだけあるかということが重要になって来ると思います。ここに小判が2枚あるんですが、これは川越の商品券なんです。1枚が1000円の価値があるユニークな商品券で、950円で売っています。昔の地域振興券のようなものなんですが、川越ですので江戸情緒を出して「お江戸川越小判」という形で作っています。
 大坪先生が、よく地域学のお話をされていますが、地元をよく見つめ直して、歴史的なものを掘り起こしたりしていく必要があると思います。何か地域の特徴を出さないと、やはりみんなも盛り上がってこないし、情報発信もできない。そういう意味で個性を作り出すことが大事だと思います。
 もう一つは、先程の基調講演の中にもありましたが、できるものから取り組む必要があると思います。地域づくり、人づくり、町おこしがうまくいっているところは、やはり、放ったらかしにしていたものをもう一度見つめ直しているところがあり、元気な町のリーダーの話を聞きますと、ムダだよ言われてしまったりしがちな、そういうことに目を付けてやっていらっしゃる。まちづくりだけではなくて企業の中でも、そんなものは誰かに任せ、アウトソーシングしてしまえばいいと、本質を外に出してしまったとき、結局うまく行かないのかなと思います。やはりそういったものに、もう一度原点に返ってみるということが大事かなと思います。
 3つ目ですが、一人では何もできません。連携が、最近コラボレーションとか、パートナーネットワーキングとかいろいろのことをいっていますが、いろいろな人たちが協力し合ってやっていく必要があります。


地域のサイズにあったものをつくろう

◆大坪 富士地区の一番大きな財産は富士山ではないかと思います。がんセンターを中心にファルマバレー構想が出てきたり、富士宮では焼きそば学会というものが出来たりしています。こういったものから見て藻谷さん、この地区の街は淋しいよといわれたが、何が欠けているんでしょうね。
◆藻谷 私の仮説なんですが、富士山が見えるところには面白い街はないんですよ(笑)。東京を含めて、富士山があまりにも凄すぎて。で、試しにつくっては壊すという仮小屋づくりが非常に流行るんです。世界的にインパクトを与える安藤広重の浮世絵、波間から遠くに浮かんでいる富士山があるじゃないですか。あれは富士山は遠くに見えても不動で、富士山があそこまで不動だと、こちらは波に揺られてふわふわの曲芸をやらないといけないような気になって来ちゃうんですね。その曲芸を一つやっているのが御殿場のアウトレットですよね。従って東京の人なんかは大変喜ぶんですね。
非常に残念なのは、オープンスペースで誰が見てもこれは豊かで素晴らしいということを造れないんで、御殿場のように安づくりになってしまう。富士山ほどのことは所詮出来ないんですが、もう少し100年ぐらいは持つような、皆が見てもこれは賑わっていていいなという、地域のサイズに合ったものを、実感出来るような、外から見えるものを造っていこうじゃないかと、というところに実は話が流れなきゃいけないと思います。
 この地域のマーケットのサイズで、しかしヨーロッパとかアメリカとか中国からお客さんが来たときにここに連れていくと東京とは違っていいねと、そういう感動を与える空間を皆さんが作れるかということが非常に重要です。それはやはり何でも富士山に逃げずに、あるいは東京を何でも比較にせずに、違う価値観を手作りサイズでつくることが、必要だと思います。凄く抽象的な言い方なんですが。
 児嶋さんが満足度調査を始めたとおっしゃっていましたが、僕はそれだと思います。ものづくりでやっているイノベーションのように、すべて変化に対応して変えていくんだということを街づくり、人づくりに応用しようとするとあまりに問題が多いんです。本当に何が欲しいんだということを掘り下げていくことが、多分必要になると思います。
◆大坪 長谷川さん、先程、感動の話をされました。そういう観点から、この富士地区が発展していく上で何か、産業面とか、人づくり、そういった面でアドバイスがあったらいただけませんか。


知恵で成功してきた日本のものづくり

◆長谷川 無理知恵を出すとすれば、やはり富士山は全国ブランドである訳ですから、環境とか自然とか、そういうキーワードから出てくるものはないかなと。例えば最近は、いろいろな、自然の汚染もあるし、牛肉の問題から、鳥インフルエンザもごちゃごちゃしておりまして、一体、この自然はどうなるのか、人間が住む場はどうなるのかと今、そういう危機とか、そういうことが出てきています。
 そういう意味でもう一度この富士山という絶対的な環境とか自然とかいうイメージから出る言葉は、やはり希望であるとか、すがすがしさとか、いのちとか、輝きとか、最高とか、清純とか、志とか、オンリーユーとか、ナンバーワンとか、何かそういうものからイメージしてあることが出来ないかなあというのが第1点。
 もう一つは、当社のPRで申し訳ないですが、この前2月3日にNHKのプロジェクトXでアフリカに船外機を売り込んだことをやったんですが、実際はもっと苦労しているわけです。ただ船外機を担いでいってもアフリカで売れるものじゃない。結局、需要創造ということをやったんです。需要を如何に作るかということで、それがマーケットになっていくわけですが、何のために船外機が必要なのかと、生活をリッチにするためにまず漁法から教え、漁業を一緒にやったわけです。風土病にかかり、プロジェクトXの2倍、3倍の凄い努力をしているわけです。しかしやはり価値を如何につくるかということと、需要というもののセットで、クリエーティブということは、もっともっと私は原点に戻って考えることだと思う。世の中の変化があり、人々は本当に何を求めているのか。今ではなくてその先ですね。
◆大坪 先程、感動創造のときに時間で切らせていただいたのですが、もう一つチームワークのことがありましたね。
◆長谷川 本当の問題解決はやはり結束力ではないかと思います。これはサッカーなんかがそうですね。自分の役割分担はあるんだけれど、ボールがそこに来たら自分の役割を超えて、そこにチャンスがあれば自分が蹴ってゴールするということ。その精神でないといけない。本当のコラボレーションというのはそこにあるんですね。
 昔からよく少数精鋭主義といわれますが、私はあれは頭のいい人が集まってやるんではなくて、少数でやるから精鋭になるんだと。アメリカの海兵隊とか、少数でやって本当にその目的のために運命共同体でやる。知恵をどんどん出す。知識というのはあるところに来るともうそれで終わりなんですね。知恵ということで日本のものづくりは、これまで成功してきたんです。


期待値の1つ、静岡空港

◆大坪 ありがとうございました。児嶋さん、ファルマバレー構想が動き出していますが、富士地区ではいかがでしょうか。
◆児嶋 誰でも分かるのは県立がんセンターが出来、これでようやく東部も先端的な医療が完備されてきたのかなということだと思います。
医療に関して、びっくりしたのは昭和39年にこちらに来たときには、静岡県には当時医学部はなかった。私は九州生まれですが、福岡の九州大学をはじめ各県に大学の医学部がありました。医学部がない県というのは非常に奇異に感じました。浜松医大が出来るまでなかった。富士地区は日本の紙の町で製紙会社がそろい、自動車はジャトコさんとかありますが、そういう核になる本社工場がだんだんなくなってきているんですね。企業も基幹産業というか、先端技術だとかソフトだけではなくて、ハードでマスプロをやる企業はきっちりあって、それプラス、アンドニッチだと思うんですよ。21世紀の後半になるときれいに業種が変わっていくと思いますが、やはり岳南地区にある基幹産業を中心にしてそれに枝葉をつけていくことではないかと思います。
私はいつも、メーカーは農耕民族だといっているんです。商社と銀行は狩猟民族、マスメディアは遊牧民族と(笑)。やはりニューリーダーとしてはファルマバレー構想ももっと受け入れる環境をつくる。行政であったり、起業家であったり、最後は市民が街をつくる、市民が物をつくるというようなことで環境づくりにもっと力をいれていけばいいのかなと思います。
◆大坪 もう一つ、空港が出来ますよね。
◆児嶋 空港に関連して富士山麓を核にした観光の振興とか地域づくりということが考えられますが、私流にいいますと陸・海・空で、陸が第1、第2東名、国1がある。新幹線、東海道線がある。バス路線もある。それから海の方は田子の浦港がある。伊豆半島、清水港を経由するといいますか、道の駅に対して、今、海の駅というのをあるNPO団体で始めています。空が静岡空港で、静岡空港が出来たら、どういうふうに東部に影響するかまだ分かりませんが、期待値の一つではあると思うんですね。そういうことで常に道路だけとか、鉄道だけと言うことではなく、富士山を一つスパイラルにつないでいく、そういうまちづくりが必要ではないか。古い言葉で3都物語、ロンドン・パリ・ローマと。ここらでは富士・駿河湾・伊豆半島とか、そういうキャッチフレーズで、もう少し交通を生かしたまちづくりとか産業の地域活性化につなげられたらいいんじゃないかという気がします。


環境は大きなキーワード

◆大坪 大石さん、市町村合併のことで何か提言がありましたらお願いします。
◆大石 難しい問題なのであまり触れないようにはしていたんです(笑)。理想の都市としては、先程言いましたように私は30万、40万都市をつくってやっていかないとと思います。すでに地方ヘの補助金は1割ぐらい来年はまたカットされるし、その他のものも減ってくることは分かり切っていることですので、ある程度の規模のものにしていかないと対応していけないんじゃないかなと。少なくももっと広域連携を取れるような形にしなくてはいけないという思いは持っています。しかし、自分が幾つかの合併に関わってきてなかなかそうは行かないなというのが実際のところですね。
ファルマバレー構想に関連して言えば、単に医療を充実させていけばいいというだけではなく、これを利用していろんなものをやっていく。ファルマバレー構想でいっているウエルネス産業も伊豆の温泉だけの話ではないと思います。ですからこの地域は、それと上手く連携を取りながらやっていく必要があるという気がします。
 それを生かすも殺すも、住民であり、そこの企業、あるいは行政サイドのいろいろな仕掛けも重要になってくると思います。実際にこの地域をみますと、医療機器関係、医療関連の測定機器、それに関連したサービス関連も含めて結構、集積している部分があるんですね。これまでは横につながりはほとんどなくて、それぞれ大手の製薬メーカー、一部の大きな病院とつながっているだけだったと思うんですが、やはりこういった医療関係、医薬品も含めて、開発していくには相当の年数がかかるものですから、今度出来たファルマバレーセンターのようなところを中心にやっていかないと進まないし、そこに新しいビジネスがどんどん生まれて来るんじゃないかなと思います。
 よくいわれているような、環境だとか、健康だとか、福祉だとかいう、これからの成長分野と期待される分野に関わっていくには、地元の医薬品、医療関連、あるいは健康、特に食に関連した産業の集積を図っていった方がいいんじゃないかという気がします。
 とくにこの地域はハイテク関連は別としまして、食に関しては非常にいい食材がたくさんあります。もう一つは産業的に考えると、環境に絡んだもの、特にリサイクル関連の産業は期待される分野かなと。富士市の場合、家庭紙は古紙の再生利用という、もともとリサイクル産業があったわけです。また、過去には環境に関して苦い経験もしてきていますし、環境というのは大きなキーワードになって、逆に生かしていけるんじゃないかなという気がするんです。
 もう一つ加えると、最近注目されているのが産業観光です。JR東海の須田さんが提案されており、先頃お聞きしたのですが、特に富士地区は紙の歴史だとか、いろいろなものがあるからそういうものを生かせば、いろんな人が勉強しに来たいんじゃないかとおっしゃっていました。併せて富士山の話がいろいろでましたが、地元は富士山の価値というものが、ありがたいものだということはわかっていますが、それを上手く利用していこうと。もう1点、富士山こどもの国が来年度から平日無料になるということですので、また新しい利用を考えたらいいじゃないかと思います。


<会場から>
街の中にはちょっとずつ全部が必要

<会場1> 私、まちなかづくり系のNPOをやっています東海道吉原の佐野と申します。昨年来、藻谷先生にはいろいろお世話になりました。吉原の街中に古くからの吉原病院があり、これが聖隷吉原病院と名前を変えて数年前からリニューアルしました。そうしましたら患者数は伸び、建物の耐震問題などで出来れば移転したいということになってきました。移転先は、吉原の人間にとってかねて懸案だった市民会館跡地とその南のNTT用地でして、街中に病院がある意義というのは、どんなものだろうということで、藻谷さんに分かり易く説明する資料がありますかとうかがったりして来たわけです。この機会に、藻谷さんに改めてうかがいたいと思います。街中には、商業施設だけでなく、どういうものが必要なのか。

◆藻谷 街の中には、皆さんが欲しいと思うものは全部、本当は必要なんですね。ただ、それを土地代が高くて、大量生産的な考え方をまちづくりに応用するので、機能分化して商業だけあればいいと。結果的に分化していった果てにすべての機能を外に出しているうちに、中心に残った機能も壊滅して中心には何もないというところまで行き着くわけですね。そうではなくて、ちょこちょこでもすべての機能を持っていなければいけない。
 郊外にはれぞれぞの機能に特化した空間しかつくれないんです。ですが街の中にはすべてがちょっとずつそろった空間があったんです。そういうものを、実は丸ごと失ってしまっているんですね。それを作り直すと言うことが必要です。もう少し付け加えると遊べて、仕事が出来て、客が来たとき案内できて、飲めて、そういう空間ですね。


駐車場と中心市街地

<会場2> 私はグランドホテルのあるこの地区でお店をやっております鈴木と申します。実はこの隣の市民センターを耐震性の問題で壊すため、3月いっぱいで閉館になります。富士の商店街は車社会から取り残されてきて、車で来にくい場所だということで、衰退気味になってきているのが現状です。この市民センター跡をどうするかという話の中で、車で来なくても楽しい街にできないかと提案させていただいているんですが、なかなか駐車場という観念が抜けきれない人たちが圧倒的に多くて大変苦戦をしています。駐車場と市街地という問題、あるいは富士市の環境という問題も先程出ていましたが、そういう問題に関して一言お聞きしたいんですが。

◆大坪 では長谷川さん、駐車場がないから街が駄目になるのか、あるいは駐車場があっても街は駄目になるのか。どちらなんでしょうね。
◆長谷川 ヨーロッパで見てみますと、車社会に対応するため中心市街地に車を入れずに、中は自転車とか電車とか、違った乗り物でやっているところがありますね。そういうところをよく勉強されて、車がないとどうなるか、やはり議論する人が現場を見るとか知恵を出していうことをされたらどうかなと思います。自転車道をきちんと整備されている国々があるんですが、日本にはない。自転車道が整備されるといろいろなコミュニティーがもっとうまくできると思うんです。これは国土交通省に私も提言しているんですが、時間が掛かりますね。自治体が、自分のところはこうするという小さいところから始めて、成功例を出すことだと思うんです。
◆児嶋 富士市の中で徒歩とか自転車で生鮮食品を買い物に行けるのは51%ぐらいしかないそうです。それで、今日の富士ニュースに20年先の都市未来像を描く富士山の恵みを生かすまちづくりということで市に提言されているわけですが、その中でやはり街の中に車を乗り捨てる場所、歩いて街を活性化する場所があってもいいんじゃないかと提言されているし、私もそう思うんですね。今のお話は非常に興味深いし、歩いたり、自転車で買い物できる、そういうのも大きなテーマだと思います。


世のため、人のため

<会場3> 遊牧民族を代表して(笑)、静岡新聞の宮城島です。長谷川さんにちょっとお尋ねします。世の中、競争も変化が激しくなってきています。そういう中でいわゆるオリジナリティを持った企業の普遍的なものがあるんだというお話がありましたが、ヤマハさんがこれだけ発展した、その中の普遍的なものとは何だったんでしょうか。
◆長谷川 これまで生きてこられたのは、たまたまオートバイの小型エンジンをキーにして、いろいろエンジンを使ったものの陸海空への応用ということで、多角化ではなく多軸化といっているんですが、エンジンをコアにして発展をしてきました。陸海空ということで人がやらないことまでやって、無人ヘリコプターとか面白いことをやっています。やはり基本は世のため、人のためということで、同業者がたくさんいますから、一つぐらい潰れてもたいしたことはないと言われてしまう。それでは困る。あの会社だけは絶対潰れてもらっては困ると。そういう会社になろうと。存在感のある会社にということで、それは世のため、人のためということになります。基本のところ、根っこは世の中に生存するという、ただ儲けるとか、儲けないとかいう問題ではなくて、そういう理念とか、目的とか、これが明確でないと、これから変化が激しいですから、非常に大事なことではないかなと思います。


これからは地域が牽引力になる

◆大坪 ありがとうございました。締めくくりの言葉としては素晴らしい言葉で、やはり世のため、人のためということで、地域の発展も同じ事が言えるのではないかなと思いました。きょうはいろいろキーワードが出まして、オリジナリティだとか、あるいは感動とか。これから私は、日本は新しい発展の段階に入ったと思います。地域が牽引力になると思います。もう東京を当てにしないと。是非静岡の方は静岡を中心にして考えた方がいい。静岡県は独立国として十分やっていけるところなのです。私は静岡県のためにどうしたらいいかみんなで考えたらアイデアが浮かぶんではないかと思います。先程、平均との格差があるとおっしゃったんですが、平均とは東京に都合がいい言葉でして、私は静岡県、富士地区、また自分の会社のためにどうしたらいいかということを、ものづくり、人づくり、街づくりといういろんな言葉がありましたが、頭に入れて新しい静岡県の発展、富士地域の発展、そして日本の発展と、こういうふうになって来るのではないかなと思います。長い間ご静聴ありがとうございました。


■講師略歴

大坪  檀(おおつぼ まゆみ)
1953年東京大学経済学部卒業。57年カリフオルニア大学ロサンゼルス校大学院修士課程修了。58年ブリヂストン入社。経営情報部長、宣伝部長、イベント推進部長、広報室総括主査、米国ブリヂストン責任者などを歴任。戦後いちはやく、バーンズ著「動作時間研究」を訳し、日本に紹介。以後、企業の第一線で活躍する一方で多数の翻訳、著作を手がける。87年静岡県立大学経営情報学部教授、学部長、学長補佐などを歴任。のち静岡産業大学国際清報学部教授、学部長を経て、2000年学長に就任。サンフロント21懇話会アドバイザー。74歳。

藻谷 浩介(もたに こうすけ)
1988年東京大学法学部私法コース卒業後、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)入行。94年コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。97年日本開発銀行(現日本政策投資銀行)情報・通信部副調査役、99年地域企画部調査役を経て2003年参事役。NPO ComPus地域経営支援ネットワーク理事のほか内閣府観光カリスマ百選選定委員会委員などを務める。国内3200市町村の99.9%、海外53カ国をおおむね私費にて巡歴。39歳。

長谷川 武彦(はせがわ たけひこ)
1954年名古屋大学工学部卒業。58年ヤマハ技術研究所入社。59年ヤマハ発動機(株)に移り、69年第一技術部長、同年6月取締役に就任。79年常務取締役、87年代表取締役専務に就任。代表取締役専務技術本部長、事業開発本部長などを経て94年代表取締役社長に就任。2001年取締役会長を経て03年6月から顧問。世界初の電動補助モーター付き自転車の開発を指揮した。72歳。

児嶋 準一(こじま じゅんいち)
1961年熊本大学工学部卒業後、日本炭鉱(株)入社。同年10月日本食品化工(株)入社。87年研究部長、90年取締役水島工場長、91年取締役技術管理室長、93年取締役富士工場長、94年常務取締役富士工場長を経て98年専務取締役、2000年顧問に就任。02年退職後、03年4月NPOコミュニティ・シンクタンクふじ代表。NPO法人のリーダーとしてボランティア活動を始める。同年10月から理事長。65歳。

大石 人士(おおいし ひとし)
1979年専修大学経済学部卒業後、静岡銀行入行。82年財団法人静岡経済研究所出向。研究員、統轄研究員、研究課長を経て、96年より研究部副部長。県内各市町村の地域振興ビジョンの策定、総合計画審議会委員、中心市街地活性化基本計画策定委員、自治体職員の地域課題研究講座講師等を務める。現在、焼津市行政改革懇話会委員、キラメッセぬまづ運営推進協議会委員、TMOぬまづ企画運営委員、サンフロント21懇話会シンクタンクTESS研究員。47歳。



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