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■第15回全体会 平成21年12月2日開催 |
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記念講演
「いくつになっても旬」
講師 藤田 弓子氏 |
ついこの間まで静岡県のあちこちで国民文化祭が行われました。実は私はこの文化祭の土台をつくる起草委員ということで、どういうテーマにするかとか、県庁に行って会議をしておりました。それが5年前です。まだ先のことだと思ったらあっという間に来てしまって、あっという間に終わったような気がします。
伊豆の国市でもいろいろなイベントをやりましょうということになり、江川坦庵さんをテーマに皆でお芝居をやりました。坦庵さんも伊豆の国市や静岡県では有名な方です。でも残念ながら東京の方なんかは知らないと言う人もいるのです。正直言って私もよく知りませんでした。反射炉を作った人とかお台場を作り、幕末に活躍した人。でもちょっと死ぬのが早過ぎちゃった人というイメージがありました。調べてみますともったいないと思いました。こんな素晴らしい人がいるのに、もっと県内外の人たちに知ってもらいたいという気持ちが強くて、それでお芝居にしました。一般の方々が応募してくださって、半年間、基礎の練習をしてやりました。すごく楽しかったです。
文化ってなんだろうと皆言うんですが、私は勝手にゆとりだと思っているんです。仕事や生活が大変だったりしますが、その中でもふっと一人になった時に、何かいいものを見て、いいなと思ったり、楽しいものを見てアハハと笑ったり、読むものを読んだり、そういうことで心の中にゆとりがあるという、その栄養源みたいな気がするんです。絶対不可欠だと思うので、もっと皆さん、ご一緒に文化について是非お力添えをお願いします。静岡県にいい文化の芽が育ち、そしてここから東京に発信できるようなところにしたいと思っています。 |
静岡県というところは、暮らすのにはいろいろなことで恵まれています。私自身が、だから静岡県にやってきたんです。父も母も東京の人間です。母は先祖代々というか、わかっているだけで9代、10代、芝で生まれて神田で育ったという江戸っ子なんです。父は牛込矢来町というところです。ずっと私も東京で育っていたんですが、ある日、東京が大好きな母が私にこういうんです。「東京というのは仕事場。だから住むところは別のところがいいんじゃないか」と。母が勝手にふるさと探しの旅に出ました。
ある日、「弓子よ、いいところを見つけたから」と言って連れてこられました。新幹線を三島で降りて、駿豆鉄道に乗り、降りたところが伊豆長岡駅。タクシーに乗せられて、山の上の方に行きました。反射炉を抜けて韮山カントリーに向かって車が走っていって、カントリーの方に曲がるかなと思ったら曲がらずに道がないようなところを降りて、またとっとと山に上っていくんですね。
着いたところが山の頂上でした。あたり一面何もない。その代わり目の前に富士山がドカーンとそびえ立っています。見回してみましたら360度見える。「ここにしよう」と母が言うんです。私も即、「そうね」と。そこで決まりました。お陰さまで今、その山の頂上に住んでいます。
江戸の人って、富士山は江戸の人のものだと思っているんです。富士山を皆大好きで、母も好きでした。私も好きでした。本当に毎日これが見られるというのはいいなという感じ。その土地を求めたのはもう40年近く前なんです。最初はご多分に漏れず仕事が忙しいからちょっと来て富士山を見て、それで帰る。いわゆる別荘族のように使っていたんですが、いまからもう25年から30年ぐらい前に「ここに住もう。ここで暮らそう」と思ったんです。母が思っていた通りに。
途中から伊豆の国市という名前になりました。これも最初は認知度が低くて、「出雲の国?」と友達に言われたりしました。市になる時も韮山という名前が本当にいい名前で、これは残したいという声もすごくあったんです。いろいろなとこで韮山は大事にはしていますが、残念ながら市の名前にはなりませんでした。私たちは韮山も大仁、長岡という名前もこれから大事にしていきたいと思っています。 |
私は住民票もここに移して文句も言えるようにして、住んでおります。最初は飲み友達とかゴルフ友達、そして犬を飼っていましたから犬友達も出来ていったんです。今から10何年前に、ある日、飲み屋におりまして、ちょっとトイレに立ってパッと座ったら全然違う人の席に座っちゃったんです。「あ、失礼しました」と立って行こうとしたら「袖振り合うも多生の縁」と引き留められました。「いまから時代劇場というホールをつくるからこけら落としのオペラをやろうと思っているんだけど、弓子さん、ちょっとこれに出てよ」と言う。酔っぱらっているから「いいわよ。出ます」って言っちゃいました。そしたら「演出家を探しているんだけれど誰かいない」って。「そこに一緒に飲んでいる、あのおっさん、うちの夫ですけどあの人ならやりますよ」って言ったら、「じゃあ、ちょっと呼んで」と。それで旦那を呼んで「演出してよ」というと、夫の方も調子いいから「うんやるよ」って、その場でOKして、それでこけら落としからかかわり始めました。
私はここを故郷と呼ばせていただいているので、お礼にできることと言ったらお芝居をやることです。こけら落としが成功して、「もっと何かやって」と言うんで、じゃあ劇団をやりましょうと劇団を立ち上げて、当時高校生から70歳代の人まで参加していただきました。入れ替わっていますが、いまだに40人ぐらいでやっています。劇団をやって、そして何とか楽しいお芝居を皆さんにお見せしたり、イベントがあったら盛り上げ係をやったりしてきました。
シャイな方たちが多いので、お芝居に来るにも、誘われても「やだよ、やだよ」と言いながらやっと来ているような人がほとんどでした。お芝居なんか見たことないし、面倒だと。でもやっと来てくれました。私たちはいつも終わった時に玄関で「ありがとうございました」と送り出します。その時に、見た人が「ありがとう」って言ってくれたんです。「ありがとう」って握手を求めてくださったんです。その時、「ああ、やってよかった」と本当に思いました。そういう人が1人でも増えればいいなと思って11年間、やっております。そんなことで今回、文化祭の市の起草委員とか演劇の実行委員を仰せつかって文化祭に携わったというわけです。 |
劇団は、市から補助金を頂いております。ですから市の劇団として活動しているんですが、絶対に入場料は取ってくださいと言っているんです。どんなに安くてもいいです。とにかく入場料を取らないと見ている人が一生懸命見ないんです。タダというのはダメですね。
今回もお芝居でタダというか券の格好をしたパンフレットを「何千枚もばらまいたので、きっといっぱいになりますよ」って言われたけれど来たのは何百人です。この1枚、500円ですと言ったら、500円を大事にしよう。ちゃんと見に行ってやろう。つまんなかったら文句を言ってやろうって思ってくださる。ですから見ている人に責任がなくてはいけない。これから皆さん、何かをやろうという時、タダはダメです。子供さんでも同じです。100円でも出せば責任を持って見ます。有料にしてお客さんにも責任を持ってもらう方がいいのです。 |
この不景気なんとかしてよと思いますよね。誰か何とかしてくれるんじゃないかと思っていますが、基本的には人を頼りにしていてもダメです。まず、1人ひとりが元気になってください。そうすると家の中が元気になったり、地域が元気になったり、会社やいるところが元気になり、静岡県が元気になり、日本中が元気になり、ひいては世界中が元気になるもとは、1人ひとりの皆さん方の責任なのです。
という訳で、きょうは皆様1人ひとりを元気にしようと思っています。私、勝手に元気配達人と呼んでいます。日本中に結構、この何年間元気を配達して歩いています。この頃多いのは、団塊の世代がちょうど定年になるということで、定年になられる方たちの会というか、そういうところにもよく行きました。あるいは女性たちの会、企業の会といろいろなところに呼ばれました。女性の会が一番人気ですね。というのは女性たちは、強い、元気、明るい、若い。日本は捨てたものじゃないと思います。
でも、やはり政治でも経済でも、いま牛耳っていらっしゃる男性が元気になっていただきたいです。カラ元気でもいいです。元気な役というのを演じてくださってもいい。そうすると自然に周りがくっついてきますから。
という訳で皆さんを元気にします。私たちの劇団は「劇団いず夢」、伊豆の夢とかきます。伊豆はひらがなにしました。そして夢。「いず夢」。それは何とか主義という言葉もちょっと掛けてあります。いつも楽しいイズム、面白がろうよイズム、元気でいようよイズムみたいな、そういうことです。 |
まず、皆さんの顔から元気にしてしまおうと思います。「あなたどうしたの。なんか若くなっちゃって」なんて言われるようにしたいと思いますので。
まず、不景気そうで貧乏臭く見える顔ってどんな顔だと思いますか。大体表情がない顔です。日本人の、特に男性は気持ちを顔に出すものじゃないと育てられてきました。でも、1人ひとり、家の中でも会社の中でも元気でいるためには表情豊かに暮らしていただきたいのです。大体、日本人の男性はシャイだし、照れ屋ですが、でも顔は動かせば動かすほど、若くて元気できれいになるんです。知っていますか。顔には表情筋があります。その筋肉がしっかり動いていないと表情が作れないんです。
私、これでも歯医者さんに紹介され顔学会というのに入っているんです。その学会は歯医者さんとか、整形や形成などのお医者さん、それからデザイナー、彫刻家、絵描き、あるいはファッション、美術などのいろいろな方たちが入っていらっしゃって、年に何回か東京大学まで行ってシンポジウムをやったりして面白いんです。そういうところで顔ってどうなっているのか、お勉強もしているんですが、やはり顔は動かせば動かすほど若くて元気な顔になるということです。
皆さん、いまなら間に合います。皆さんの顔を表情豊かな素晴らしい顔にしたいと思います。 |
私も、60歳を過ぎました。私は昭和20年生まれです。戦争中ですから20年生まれは少ないです。9月生まれですから戦後生まれです。「世の中、平和になりそうだから生まれてみない」という訳で生まれ、4年前に還暦になりました。60歳って人だけなるんだと思っていましたが自分もなるんですね。
50歳になったときの方がショックだったかな。昔だったら60歳というとすごいおじさんとかおばあさんと言われていましたね。でもなってみたら「何だ。こんなものか」と思いました。60歳と言ったら昔は人間的にも完成していて何にも惑わず、人格も素晴らしくて、誰にも尊敬される素晴らしい人になるんだと思っていたら、とんでもないです。不惑どころか、迷い悩みっぱなし。だけど人間ってそういうものねと思って、一生戸惑いながら、そうやっているうちに気がつくと後ろに歳がくっついてきているだけなんですね
でも60歳になった時に、あっと思ったのは、いままでは私を育ててくれた人がいっぱいいたということです。先輩とか先生とか。私で言うと映画の監督とか演出家。素晴らしい方たちにいっぱいお会いしてきました。だけどふと気がつくと皆いなくなっています。
大好きだったのは渡辺文雄さん。あの方には俳句の会に誘っていただいて30年以上もご一緒していたし、「遠くへ行きたい」という旅の番組でも渡辺文雄さんと旅するのが女性では私が一番多かったんです。旅の仕方とかお酒を飲むにしても何をするにしても素敵な方でした。永遠に生きていてほしいと思っていました。
そして役者さんでいうとやはり勝新太郎さん。本当にあの方はお芝居とか演技が本当に素敵で、若いやんちゃな時に太地喜和子さんたちと一緒に飲み歩きました。喜和子さんは私の文学座時代の親友で早くに伊東の海で事故で亡くなりました。亡くなった時、お通夜に行ったら勝さんが来ていて「弓子、ちょっと待っていろ」というので、ご一緒に焼香したりして外に出たら、勝さんがいきなり私のことを抱きしめてくれて、耳元で「本当に喜和子はいい顔をしていたな」って言うんです。私もそう思いました。勝さんは「やはり喜和子は女優だな」というんです。「最後は絶対いい顔をしなきゃあと思ったんだよ」って言うんです。そのことが忘れられないんです。
2人で泣いたんですが、後に勝さんが亡くなられた時、皆さんが「いい顔をしていたよ」と言うんです。私はお顔まで見なかったんですが、「本当に役者だな」という勝さんのあの時の言葉が蘇りました。 |
本当に素敵な方たちがどんどん先に逝ってしまいました。私を育ててくれた人がどんどんいなくなっちゃった。その時に自分で思いました。これからは「そうだ、自分で自分を育ててやろう」と。だから私、いまはこう言っております。「只今、育自中」。
「育自」の自は自分の自を入れて、60歳からただ今、「育自中」と思ったら、うんと若い人や子供さんやいろいろな方たちが育ててくれるということがすごく分かります。ただ頑張っている子を見ているだけで、「ああ、私も」って思うし、素敵なことを考えている人を見ると「ああ、私も」と思うし、そういう人たちとなるべく会いたいと思います。
皆さん、どんどん友達は作り続けてくださいね。社長会とかばかりで会ってないで、うんと若い人やうんと歳の人と会っておいた方がいいですよ。今のうちに聞いておかなければいけないことがいっぱいありますから。いろいろなことをやってきたことをそのまま持って行っちゃわないでくださいと。どうも自分の親や身内だとうるさいなと言いがちですが、やはりお年寄りから面白い話は聞いておくべきです。
今、私は若い方たちと一緒にいます。そういう方たちからいろいろ教えられてはいますが、若者たちをうらやましいと思ったことはないです。若さは素敵です。でも、私も生まれたときからおばさんだったわけではありません。ちゃんと若くていい時はあったんですから。もっといいのは、いまの若者たちより私たちの方がどんなに面白かったかと思いませんか。いろいろなことが変わっていくのを見てきたんですから。
明治維新になるころと同じぐらいこの100年、面白いじゃないですか。戦争という大変なこともありました。でもその前、その最中、その後を見ている方、私は昭和20年ですけれど、もっと前の方たちがうらやましいです。本当に。大変でしたが、いまの若い子たちよりも面白いところを見てきただけじゃなくて皆が感じて来たじゃないですか。
いろいろなものをいっぱい見てきて、いろいろな人と会って、会い続けて良かったねと思って死にたいねと思うんです。勝海舟さんが最期に「はい、これでお仕舞い」と言ったとききましたが、そんな感じがいいですね。そういうことで皆さん、是非、「育自中」と思ってください。そう思うと、もうどんな人にも興味が持てます。 |
うちの母は巨人ファンでした。私の父は戦争で病を得て帰ってきて、昭和24年に亡くなり、母は軍人恩給を頂いておりました。25歳で未亡人です。それから祖父母を看取って、私が小学校に入るときから母子家庭でした。母子家庭というとかわいそうねとか、寂しそうねと言われがちですが、うちは楽しそうねと言われていました。母は本当に好奇心いっぱいで、未亡人になって、たくましく元気に明るく暮らした人です。いろいろなところに行きたい。だから旅行に行って、この土地を探してきたのも母ならではなのです。旅行も映画も大好き。歌舞伎だろうが宝塚だろうが、落語だろうが何でも見ました。
その中に野球もあったんです。大正12年生まれの母ですが、野球が大好きでした。母のお父さんは神田で銀行の支店長だったんですが大学野球が大好きで、うちの母を連れてしょっちゅう野球を見に行ったんです。そのせいで野球大好き。お嫁に行っていた何年間かはちょっと猫をかぶって、いい嫁さんをやっていたらしいですが、これも実は好奇心いっぱいで「下町は分かった。ちょっと山の手を見てみる」と言って山の手のお嫁さんになって、これは元気に面白くやっていたらしいんですが、その後、野球です。本当に私もよくいろいろなところに連れて行ってもらいましたが、野球は思い出深いです。
母は巨人ファンでしたが、私は巨人ファンではありません。私は「個人ファン」です。つまりいろいろなものを見せられ、素敵な選手があっちにもこっちにもいるということが分かってしまいました。当時ですから、神様、仏様、稲尾様、とか、中西太さん、巨人だって当時はピッチャー藤田の時代です。キャッチャー藤尾かな。ファースト与那嶺、セカンド土屋、ショート広岡、サード長嶋という時期です。
その中でもこの人は特別という人は杉浦正さん。大好きでした。なぜかというと、母がなぜか巨人と南海ホークスのオープン戦まで見せてくれたんです。何でかよく分からなかったんですが、あの杉浦さんという人が私の亡くなった父にそっくりだった。ここで母の女心かなと思って、後で胸がキュンとしました。
もう1人。この方は特別。あの長嶋茂雄さんです。何と言ってもあの明るさ。元気だし、言うことは面白いし、プレーは華麗だし、本当に楽しく素敵な方です。
なぜ長嶋さんの話をしたかと言いますと、長嶋さんが還暦を迎えられた誕生日にテレビを見ていたら生放送で皆に囲まれて「今のお気持ちを一言どうぞ」といわれ、長嶋さんはこういうふうにおっしゃったんです。「ありがとうございます。私、初めて60歳になりました」。もう私、ズッコケながら嬉しくて、嬉しくて拍手していました。
皆さんも初めてなんです。どの歳も自分にとっては初めてなんだから大事にしてあげようということなんです。私もこの言葉が大好きで、これを言うために長嶋さんの話をしました。 |
それでは皆さん、いい顔。どういう顔なんでしょう。表情豊かで、目に輝きがある顔、そういう顔でいたいと思います。自分の顔に責任を持てというけれど、60歳過ぎたら自分の顔も製作中だと思ってください。自然に任せておくとどんどん重力とともにだらしない顔になっていきます。
まずは顔を元気にすると身体も元気になりますので、顔を元気にしましょう。何をするか。顔の中でも一番顔を動かさなければいけないし、そしてこの顔ができれば人生すごく楽しくなり、人間関係もとてもよくなる顔というのが「笑顔」です。
自分の顔って鏡でよく見ていますか。男性ってあまり見ないでしょう。女の人はこと細かく見ます。鏡は大いに見ていただきたいです。これは残酷なものです。私も毎日見ていますが、髪の毛は抜ける。歯が抜ける。しわができる。シミができる。むくむ。くすむ。かさつく。だぼつく。言っているだけで悲しいですが、細胞がヘタっていくということはそういうことです。で、なんとか元気でいるためにはいい笑顔でいることです。
笑顔、大事です。昔の人はいいことを言いました。笑う門には福来る。門というのは家ということですから、つまり笑い声の絶えない家は福の神を呼び込むよと。ご商売をやっている方はすぐにお分かりになると思います。だってやはりいい笑顔を自分がしていないと向こうからいい笑顔って寄ってこないんです。いい笑顔が寄ってくる。しかもお金を持ってやってきますからね。
私も旅の番組であちこちに行っています。この間も秋田へ行きました。そうするとちょっとおいしいお魚とか食べたいなと思い市場に行きます。新鮮な魚、新鮮なカニを買いたい。どこで買ってもいいんですが、その時、どうします。もういい魚がいるわと思ったときに、私は売っている人の顔を見ることにしています。自然な笑顔で「いらっしゃい」と言ってくれたらここで買います。逆のことを考えたらすぐに分かる。仏頂面していてお金を稼ぐなんてとんでもないです
という訳で皆さんいい顔をしましょう。これから先、人間関係というのがとても大事です。60歳過ぎ、70歳過ぎてからの人生を楽しく生きるのも、つまらなく生きるのも人間関係次第。やはりいい友達はつくり続けて、いい人が周りに集まって、そうして楽しく暮らせたらどんなにいいでしょう。 |
まず、いい笑顔をしましょう。そのためにいい笑顔でいるかどうかを確認するために、いまから笑顔の練習をしたいと思います。皆さん、ついてきてください。
1つ目のポイントは、眉毛と眉毛の間にご注目を。眉間といいます。ここには縦にしわがあります。30歳過ぎた方は大体あるんです。これは表情ジワです。このシワにはこういう名前をつけてみました。マイナスジワ。何故かというと気持ちがマイナスに入ったときできるシワでしょう。つまり「ああ、辛い」とか。「悲しい」「苦しい」「嫌だ」「こんちくしょう」と。こういう時にできるからマイナスジワ。悲しく辛い思いは皆さん、いっぱいしてきている。だからいろいろな感情があったという証拠なので、これはしょうがありません。
でも皆さん、笑うというのは縦ジワを両方の眉毛でそれぞれ外側に引っ張るということです。分かりますか。この縦ジワを両方の眉毛で横に引っ張る。これが笑顔の基本なんです。つまり愁眉を開くという言葉があるでしょう。愁は愁いという意味です。辛い、苦しい、悲しいという、そういう愁い。愁いの部分をここでスコンと開いて、失くしてしまうということ。
笑顔と思ったら眉間を開いて暮らしてください。これからだって苦しい、辛いことだってあります。そういうときでも、ここは開いたままで、なるべく天井や空や上を見て悩んでください。
眉間を開いておいてください。会社の調子が悪いとか、家庭がうまくいってないとか、そういうときは眉間がくちゃくちゃしてくるんです。そうなると人だって寄ってこない。ですから具合が悪いと悩んでいるときほど、パーティーで真ん中にいろと言われます。調子の悪い時はパーティー会場でも端っこの方にいる。でも調子の悪い時ほどパーティー会場でもなるべく真ん中にいて、なるべく明かりの当たるところに立って、いい笑顔でいる。これが活路を生み出すんです。
ですから日頃から、調子の悪い時こそ眉間を開いていてください。例えば面接を受ける機会のある方、皆さんは面接をする方でしょうが、面接を受ける人がいたら是非アドバイスをしてあげてください。面接を受ける時は愁眉を必ず開いて面接を受けなさいと。本当に見た人の印象が違います。やる気、本気というのを相手に伝えたい時はなるべくおでこもあげて、愁眉を開いて、「どうぞよろしくお願い致します」とはっきり言うと気持ちが伝わります。
逆に面接の審査員になる方も、眉間を見ていると分かります。ここで後悔しないようにと眉間を開いて気持ちを出してくる。そういう人を選んであげてください。 |
2つ目のポイントは目です。目は笑う時というのは力の抜けた普通の自然な目で、ニコニコ、ピースマークの目で、どうぞよろしくお願いします。そうすると、横にシワができます。これは笑いジワ。カラスの足跡とか言われますが、これはどれだけ笑って生きてきたかという勲章。将来、「いい顔だね」と言われる時にここにシワがあるということが結構大事なんです。
私がよく行く飲み屋で刑事さんと話すと面白いです。いろいろなお話を伺った中で、「人は尋問なんかで嘘をついている時、分かりますか」ってきいたら「割合分かります。嘘をつくと人は瞬きを忘れる」と言っていました。つまり嘘をつくというのは頭の中でいろいろと構築しなければいけないでしょう。そうすると何か瞬きを忘れて嘘をつこうという人が多いということで、「こいつちょっと嘘をついているな」という指針にはなるそうです。
ですから皆さん、どうぞお気をつけて。目というのはやはり口ほどに物を言うようです。笑う時は力の抜けた眼で笑ってください。 |
次のポイントは口です。口角、これが上に向かってキュッと上がっているのが笑顔です。ここが練習のしどころなんです。笑うというのは口角を上げていただくということなんです。1人ひとりがやはり口角を上げて笑っていると、いい人が集まってくるんです。そして富を呼び、福を呼び、そして景気がよくなって、うちの中も平和になるし、世界中が良くなるんです。
そういう訳で口角を上げる練習をご一緒にしたいと思います。これは人前ではやらないでください。とんでもない顔になりますから。
では早速やりましょう。口角を上げるのは、まず顎をアントニオ猪木さんのように、ちょっと前に出すんです。お腹を引っ込めて顎を引いて姿勢を良くするぐらいにすると顎が出やすいです。それから両方の頬っぺたにほうずきを入れて、同時にギュッと噛んでいただきたい。噛むときにイロハのイーという音をだしてください。
結論を言いますと、志村けんさんのバカ殿様で、アイーンをやっているのを知っていますか。あの、アイーンをやっていただくと口角が上がるんです。いまからやって御覧に入れます。こういう顔です。(笑い)人の前ではあまりやれないものですね。
では皆さんやっていただきたいと思います。ハイ。皆変な顔!。痛いでしょう。それぐらい普段使っていない。なるべく朝からアイウエオでも、「お・は・よ・う・ご・ざ・い・まーす」とか、テレビを見たらできるだけ大きな声を出して笑おうとしてください。 |
表情豊かな、いい笑顔の、元気な顔でいてください。顔ができたら体は大丈夫です。体は姿勢が良いこと、これが何よりです。どうしても老けて見えるというのは姿勢が悪い人です。若い人の姿勢が悪いですね。
私もお芝居の中で老け役をやったりします。藤田まことさんとの「剣客商売」、私いい役をやっていたんです。金時ババアって役なんです。大の男を7、8人投げ飛ばすような元気なおばあちゃんをやっていたんです。その時、例えば歳を取るということは膝と膝をちょっと広げておなかを出っ張らせて、背中を丸めて、そのまま「ヘイ、おばあちゃんでございます」なんてやる。舞台で1時間半もやっていると足ががくがくに疲れます。老け役は大変なんです。皆さん方は老け役を演じようとしない。老け役を演じるのは私たち役者に任せていただきます。
という訳で、日ごろから姿勢をよく。私、本当に丈夫で元気です。でも、60歳になった時にいくらなんでもこんなにお酒を飲んでいる人は、と思って人間ドックに行きました。そうしたら肝臓も丈夫、血液も頭も全部大丈夫。ただしそのお腹はなんですかと言われまして、内臓脂肪を取りましょうということでインストラクターについてやりました。これは私にピッタリのわがままダイエット。みなさんにもできます。
お酒を飲んでいてもいいし、食べ物のことはちょっと気をつけ、野菜中心で夜はあまり食べないとか、そういうようなことぐらいです。日頃の姿勢を気をつけるだけで、内臓脂肪を減らせました。 |
皆さん、内臓脂肪を減らすために、こんな姿勢をしていて下さいということを今からやります。座っている時は皆さん、背もたれのところになるべくお尻をくっつけてください。そうすると自然に姿勢がよくなります。そうやって時々、お臍のあたりにキュッと力を入れてみる。その時に肩に力が入らないように顎を引いて、そういう姿勢でなるべく座って。
歳を取ってちょっと痩せようとか、内臓脂肪を減らそうと思う時に一番良くないのは下手なダイエットをすること。まず筋肉から落ちていくんですね。歳を取ると筋肉はすぐに落ちます。私たちのやり方だとなかなか体重が減らないんです。筋肉を落とさないで脂を落とす方法ですか。時々でいいです。ちょっとしんどいですが、男の方、膝と膝をつけてください。そしてお腹のところにキュッと力を入れて、結構しんどいんです。それは、ここの腿、そして第二の心臓と言われているふくらはぎとか、それから中の方の筋肉の大腰筋に効くんです。運動する時間がなくてという方も座る時間ぐらいあるでしょう。私、新幹線に乗ったとき時々やっています。車を運転している時なども意外とできます。
それから立っている時の姿勢がまた大事です。普通に立って肩の力を抜いて顎を引いてやはりお臍の下にちょっと力を入れて、この時に大ポイントがあります。秘密中の秘密です。さらに落としやすいというのは、後ろ手で手を組むという方法がある。
やりにくい方の手を上にしてください。これをやるだけで筋肉のバランスを整えるんだそうです。そんなふうにして肩が凝ったなと思ったら10秒間かけてゆっくり首を回すとか、とにかくゆっくりやってください。1年間だまされたと思ってやってみてください。本当に筋肉がついてきます。何とゴルフやる方、ゆっくり振るというのは背筋とか中の筋肉がないと振れないんですね。筋肉がちゃんと出来たらしっかり立てて、ゆっくり振れたら、私は2、30ヤードは飛距離が伸びました。 |
もう一つ、最後に精神的にはどうでしょう。「いくつになっても旬」と書かせていただきました。先から言っているように、どの歳も自分にとっては新しい、旬だよと言いたいということです。そして元気にして若々しく素敵に生きるには、自分が言われたらうれしい、幸せになれるという言葉を自分も口に出してあげるということです。反対に他人から言われて嫌な気持ちがする。不愉快になることは口に出さない。これだけを考えていただけるだけで、家族円満。特に夫婦では、言われてうれしい言葉をどんどん言ってあげてください。ほめられたらうれしいでしょう。だからほめ言葉をどんどん言ってあげてください。折角、奥さんが髪の毛をカットしてきれいにしてきて、「ねえ、あなたどう」なんって言っているのに全然気がつかない旦那さんがほとんどです。
やはり人は誰かに見られているだけで元気でいれるんです。誰かに見られていると思うだけで美しくなります。皆さんの奥さんがもし美しくなかったら、それは皆さんのせいです。
もう1つ、他人に言われてうれしいのは、ほめ言葉と感謝の言葉ではないでしょうか。「ありがとう」。奥さんにありがとうと言っていますか。ほとんど男性はこう思っているんですよね。「おれはいちいち女房にありがとうなんて言わない。死ぬ間際になったらまとめて言ってやる」と。奥さんも分かっているから待っているんです。でも旦那さん、まとめて言ってくれると思ったら思い切りボケて「ありがとう」どころか「さようなら」も言わずにあの世にお出ましということもあるんです。
死んでしまったんでは間に合いません。いま、どうやって楽しく生き、ご家族も、特に夫婦も仲良く暮らせるかは皆さんに掛かっています。是非、ほめ言葉や感謝の言葉、あるいは愛の言葉を照れずに口に出していただけたらいいと思います。
いい笑顔には必ずいい笑顔が返ってくるし、いい言葉にはいい言葉が返ってきますから、そうやって1人ひとりが元気になることを私は切に望んでおります。
これからも私は伊豆の国におります。伊豆の国市でお芝居もやりますので是非、見てやっていただきたいと思います。皆さん、一緒に文化の芽を育てて、こちらでもこういうふうにやっているよと逆に東京に発信できるようになったら素晴らしいなと思っています。これからもどうぞ仲良くしてやってください。 |
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藤田 弓子(ふじた ゆみこ)
女優。1964年都立城南高校卒業。1966年〜1971年文学座座員。劇団「いず夢(む)」主宰。趣味は、俳句・絵・釣り・ゴルフ・お酒・旅・読書など多数。伊豆の国市在住。 |
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