サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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記念講演  5月31日(月) 会場/沼津東急ホテル
「私の描く東部振興策」
静岡県知事 川勝平太氏

日本の新しい時代を担う「ふじのくに」に

静岡県知事 川勝平太氏

 日本のこれからのアイデンティティーをどう見るかということですが、私はもうポスト東京時代に入ったという認識を持っています。
 この間、富士山静岡空港が出来て陸、海、空一体になったので、本県における国交省をつくろうということで、国交省の谷口事務次官に会いにいきました。彼は沼津に対する愛着があるわけです。所長もされていますから。伊豆縦貫自動車道を立ち上げたのも彼です。ですから「あなた来ないか」と言いに行ったんですが、びっくりされたようです。もちろん来るとは思っていませんが、彼級の人が欲しいと思っていました。谷口次官はエースを送りこんでくれました。その方が交通基盤部長の森山という方です。
 富士山静岡空港が出来て、完全ではありませんが、われわれは陸、海、空のネットワークを持ったということです。空の玄関口、それから新東名も2、3年で御殿場から引佐まで供用開始です。このあと西からいきますと三遠南信の縦貫道、清水から上越まで縦貫する中部横断自動車道、伊豆縦貫道という縦の線があるわけです。
 陸海空をどう一体化するか。インフラ整備というのが一番重要だと思っておりますが、東海道は古代からずっとあり、「ふじのくに」は日本のど真ん中性を獲得しております。そしてポスト東京時代の日本列島のど真ん中だということを自覚的に唱えようと思います。対外的に認められるかどうかが実はポイントです。その陸海空というものをもってこの地域を「ふじのくに」としてやっていこうと思っています。
 ですから静岡県東京事務所は東京政府に対する県の大使館ではないかということで、「ふじのくに大使館」とし、その臨時代理大使に現在、上海万博の日本産業館の館長、秋岡栄子さんを任命しました。
 この間、中国浙江省に行きました。浙江省では「熱烈歓迎静岡県富士の国家3776訪中団」と来たわけです。彼らは漢字で書かざるを得ません。われわれはひらがなで「ふじのくに」と書きます。5200万人の浙江省のトップ、省長の趙洪祝書記は「ふじのくに」を国家と書いてくれました。ネーションの国です。「あ、これで認められた」と。
 「ふじのくに」は、西は浜松から東は沼津、熱海まであるということです。「ふじのくに」というのは日本の事でもあるわけです。例えば日本のことを東京政府、あるいは中国のことを北京政府といいます。ここは「ふじのくに」の都にすると。それを表記するときにはひらがなで「ふじのくに」と書く。それは国家と書かれても構わない。ここは中心性として日本の新しい時代を担うということです。


東部も中核市、あるいは政令市を持たないといけない

 県西部はものづくりとこれからは環境産業。高柳健次郎のテレビ発明から続く「光」ということを中心にやっていく。そして駿河はなんといっても物の往来の中心だし、徳川家康公のお膝元で、農産物もいいと言われたと。そういう食材がいろいろな形で楽しめます。東部は富士山の麓(ふもと)ですからきれいです。“不死の山”というかぐや姫の伝説もありますし、不老長寿という意味もあります。
そして美しいわけです。東部というのは、美と健康の調和したところです。最も「ふじのくに」の中の理想郷だと思います。日本の理想郷は「ふじのくに」なのですが、「ふじのくに」の中の美しいところであり、かつそこは健康ということがそのままイメージできる。山に登るもよし。ヒルサイトにいて、あるいは海を眺めるもよしと。こういうきれいなところ、温泉も、食材もある。産業もある。
 そういう観点からいうと私は、東部というのは1つとして見なくてはいけないと思います。広域行政はサンフロントの会員皆さんが推進しようということですので、県としても日本の将来を見ても、この地域の特性を見ても、美と健康というものが軸とならなくてはいけないので、もう少し仲良く1つにまとまってくださいということです。西部と中部はまとまっているじゃないですか。
 これから熱海市長選、三島市長選があります。来年に入りますと富士宮市長選、清水町長選。やはり選挙のとき、首長に立たれる方が広域行政についてどういう意見を持っていらっしゃるかということをしっかり見ていただきたいと思います。広域行政で無駄をなくしていく。そしてネットワークを組んであたかも一体的であるかのごとくにしていくために一歩でも二歩でも前に進むということだと思います。
 すでに富士宮市と芝川町、富士市と富士宮市でもいろいろやろうとしています。あるいは沼津の市長さんもお隣の長泉町や清水町、函南町、あるいは三島市とやっていこうといわれておりますので、この動きは是非加速させていただいて、言うだけではなくて中身のあるものにしてくださればと思っています。とにかく東部地域においてもまとまらないといけない。中核市、あるいは政令市を持たないといけないということです。


健康を軸にしたファルマバレー


 さて、ファルマバレーですが、がんセンターが平成14年に発足いたしました。山口総長という素晴らしい能力を持ったリーダーに率いられ、立地もよく、大きく発展して医薬産業、医療機器産業がこちらに集まってくるようになりました。
 健康を軸に、健康に関わるものをつくっていく。健康に関わる人をつくっていく。健康に関わる地域をつくっていく。健康というものをもって、それを世界に発信する。ヘルスでハッピーなところじゃないかと思います。ファルマバレーというあの地域を取り囲むヒルサイト、丘の上というのは気持ちがいいんです。そして向こうに富士山です。あるいは愛鷹山、天城山を仰ぎ見る事ができる。ヒルサイトに立つと、さわやかな風が吹いてくる。その向こうには駿河湾も眺望する事ができる。光あふれる海を眺める事ができ、何かふっと元気になる地域です。まだ10年にも達しないファルマバレーは、あらゆることを通してここにいろいろな企業群を誘致する。
 これぐらい人々が長寿で、先進国すべて少子高齢化の問題に悩み、そして医療問題が非常に大きな問題になってきて、バイオテクノロジーが世界の最先端の技術になっている。こちらには最高の技術を持つ遺伝学研究所もあります。がんセンターもある。一番難しい人体というものを相手にするトップクラスのものがある。軽工業や重化学工業で韓国や東南アジア諸地域が追いついても、健康産業はそう簡単に追いつけるものではありません。


伊豆半島は一つという考え方を

 次に観光問題です。
 天皇として史上初めて富士山をご覧になったのは明治天皇です。その感動のしるしとして、ご覧になった場所に記念碑が今も立っています。そして明治天皇から4代目の皇太子殿下は2年前に富士山に登られて、その感動を今年の歌会始のお題「光」に歌いこまれ発表されました。
 「雲の上(へ)に太陽の光はいできたり富士の山はだ赤く照らせり」。
 何と素晴らしい歌でしょうか。そしてその喜びを昨年1月の日本山岳会の巻頭論文に寄せられています。そこに沼津が出てきます。子どものころ沼津の御用邸で見た富士山が自分の原風景になっていると思うと書かれています。「そこに登りたい。登りたいと思って山を見てきた。28歳のときには天候悪化で途中で引き返したが、ついに昨年の夏、初めて登れた。そしてご来光を仰いだ」と。そのときの感動を歌に詠まれているわけです。
 たまたま2月23日、「富士山の日」に全国の富士山集合ということでお写真を寄せてくださいとお願いしたら、ご自身の誕生日でもあるということで、ご自身で撮られた3枚の写真をお寄せいただき、グランシップに展示しました。
 そして今年はその富士山の麓の朝霧高原で日本ジャンボリーも開かれる。当初2万人だといわれていた参加者が3万人になりそうだという。ボーイスカウトたちが富士山の麓の自然の中で野外活動し、自分の力の限界を知ったり、仲間との協調性の大切さとか、自然の美しさ、厳しさを体験するということで、日本ジャンボリーが40年ぶりに開かれるわけです。富士山の麓で開催するというのは日本中の少年少女たち、世界中の子どもたちにとって憧れになっているわけです。
 富士山があって、そうするともう富士市や富士宮市辺りは環富士で行こうと。そういう構想を出される。山梨県側も喜ばれます。富士山が一つであるように伊豆半島は一つだという考え方をしっかり持たなくてはいけない。もちろんインフラ整備をしっかりしなくてはいけません。しかし伊豆半島は地域の大半が海に開かれている。沼津、土肥、あるいは松崎。ぐるっと回って下田から石廊崎も素晴らしいですね。
 下田にはペリー、ハリスが来ました。1854年に日米和親条約が結ばれて、59年に横浜が開港しますが、54年から59年、つまり1850年代は下田にしかアメリカ人は来れなかった。アメリカ人の日本人との最初の出会いというのは、伊豆半島で行われています。まさに太平洋に開かれているわけです。
 そういう半島で、世界最大の海に開かれて最も美しく、最もコンパクトな半島。ここには温泉があり、いわば数千万の人々が毎年来るような、日本で知らない人がいないところです。海の景観が広がり、平和であり、世界に広がる。何しろ日本に赴任してきたアメリカの皆さんでここを知らない人はいない。陸の方は山あり谷ありで一つになることは厳しいと思いますが、とにかく伊豆は津々浦々で一つという認識を持っていただくことがとても大事です。
 ですから富士山、箱根、伊豆半島と、これは山梨県、神奈川県、静岡県の知事で山静神サミットが昨年秋にありましたが、今年は伊豆のど真ん中でやってみたらと思っております。


世界の人が認めるジオパークを

 伊豆半島は日本で知らない人はおりませんが、世界で最も美しい半島なので、世界の中の伊豆半島というイメージを持たせるために、世界の人が認めるジオパークを目指しています。これは世界遺産が1000ヵ所近くなって指定を制限してきております。そうした中で地球それ自体の造山活動が作り上げた傑作を人類の財産として後世に継承していこうという。
 地球というのは137億年前に生まれて、爆発するうちにだんだん形が見えてきて、水が出来て潮がたまって、陸と海が分かれて、そして海から陸に生物が上がっていく。その生物は最初は裸子植物です。その後、草原が出来てお花が出来、昆虫が生まれてくる。だんだん複雑な多様なものに地球がなっていって美しくなってきた。
 地球の造山活動のいくつもの傑作があります。その傑作の一つが富士山であり、伊豆半島であると思うわけです。自然というのは諸行無常で、常なるものはどこにもないということで、われわれは1回きりの歴史というものを地球とともに、少なくとも人類600万年の、あるいはホモサピエンス15万年の歴史を担っている。こうした中で地球の造山活動がつくり上げた美しいものを富士山については世界文化遺産に、そして伊豆半島についてはジオパークとして世界の人々に知ってもらって、来ていただくというわけです。
 そのための空港であり、そのための「ビジットジャパン・キャンペーン」です。ジャパンが富士を代名詞として使えるならば、「ビジット・ふじのくにキャンペーン」でいいでしょう。「ビジット・マウント富士キャンペーン」でいいわけです。「ビジット箱根キャンペーン」、「ビジット・ジオパーク・キャンペーン」でいいわけです。そうすると世界に名を知られたマウント富士から箱根、そして伊豆半島は一体だということです。
 この伊豆半島を一体に見ていくために、日本の伊豆半島から世界の伊豆半島にするために、ジオパーク運動をやらなくてはいけない。これは半年ほど前まではあまり知られていませんでした。
 京大の前総長の尾池和夫さんが日本におけるジオパークの委員長をされており、この間お目にかかったとき、「一度来てください」とお願いしたら「行きます。伊豆半島は素晴らしい」と言うわけです。ですから見る人は前から知っていたんです。
 自然の多様性を本当に美しく観賞できるところだということなんで、ジオパークとして世界の伊豆半島にしていこうと。世界でもっとも美しい半島だと。


来年、アメリカにしっかり伊豆を売りに行きます

 長崎はオランダと中国、対馬は朝鮮、琉球は中国、あるいは東南アジア、松前ですとアイヌ、ロシアと交流があったところです。伊豆半島はアメリカです。われわれと太平洋を共有している。そういうパートナーとも関係を結べるところですから、私も来年、アメリカにしっかり伊豆を売りに行きます。下田の黒船祭に影響されてペリーの生まれ故郷であるロードアイランドのニューポートで、10数年前からブラック・シップ・フェスタをやっています。そこの日米協会のバイナー会長が、この4年間くらい下田に毎年来られており、この間オープンカーで隣同士でした。気が合ってしまって「あんた来い」というわけです。いつあるのだと聞くと「7月18日から20日にかけてある。週末だから来い」という。私は「今年は参院選のあとの議会があってそうはいかないから来年は行く」と約束しました。そこで平和交流のための何か地域間交流をやろうと言ってくれているんです。ですからそれはやります。そして伊豆半島を売りに行きます。お茶も売りに行きます。
あるいは「ふじのくに」というものがポスト東京時代の新しい日本の理想郷であるということを売りに行くと。こういうわけです。
富士、箱根、伊豆半島というものは一体として、合わせてご覧になるのがよろしかろうと。これは新しい本物の観光ですよと。自然景観がきれいで水がきれい。そこで人々が健康産業を軸にして生活し、温泉があり、そして素晴らしい食材があって、食の都といえるものが出来上がっているであろうここで観光できますよと。これが本当の日本ですと。きれいな景色というものを借景にして生活景観があり、そしてそういうところで人間の生きている幸福を知るということが喜びになる。それがここだと。そういうふうにしてもらいたい。


土地の心が入っているコンベンションセンターを

 4番目の問題はコンベンションセンターです。
中部にはグランシップがあり、浜松にはアクトシティがあります。ところが東部にはありません。造らなければいけない。
沼津のコンベンションセンターの絵を見たらマンションを造る、ホテルを造るという。沼津といったら何を思い浮かべますか。千本松原ではないでしょうか。沼津の駅に降りた。これは千本松原の駅に降りたということでしょう。この案のどこにそれがあるんですか。何でマンションを造るんですか。「いやマンションを売るとそれでお金が浮きますから」と。何を言っているんですと。ここで地震が起きたらどうするんですか。住めなくなるんじゃないですか。だから高く建てると危ない。そういうものを本当にここに造る必要があるんですかといったら、担当者は答えられない。駄目です。
 どういうイメージで造るか。建築家に聞かなくてはいけない。建築委員会の中にいらっしゃった建築家が一部絵を描いてくれました。はじめ松が100本でした。私は「全部絵を描いてくれ。千本松ですよ」と。そうしたら出てきました。こういうふうにするんだと。「おおー」というわけです。今、それが進んでいます。
私は、若山牧水が愛した、あるいは400年の歴史を持つ人々が作り上げた美しい景観。明治以降、鹿児島の人がこちらにたくさん別荘を求めた。それは鹿児島湾の景観がもっときれいに駿河湾で味わえるということで、明治の元勲たちがここの別荘を求めたということで、そういうイメージをしっかり入れ込んで立派なものを造らなければいけないと思います。柱もコンクリートで巻かなくて、必要なところは伊豆半島の杉でもヒノキでも、あるいは県産材のしっかりしたものを使って。
実は戸田の公民館建設について市と県との協力で、お互いに譲り合いながら、その地域のためになるにはどうしたらいいかということを考えました。本当に土地の人にとっていいでしょうといわれるものを提供すべきだと。100年後、自分たちが亡くなった後にこれを残していかないといけないというものを造らないといけない。それはやはり土地のものを材料に使う。土地の心が入っているというものでないといけないということになりました。
だから土地の心が入っているコンベンションセンターを栗原市長とならできると思っています。こういう関係を通して県と市が協力しながらやっていくということです。


若い人たちのアイデアを使おう

 一応、4つの件についてお答えしました。即ちサンフロントで推進するとされている広域行政も、ファルマバレーも、観光も、そして今申しましたコンベンションセンターについても応援してまいります。心を一つにしてやってください。
 来た人が見て美しいというように造らねばならないと。これはアイデアの問題で、アイデアは若い人たちが持っていますので、若い人に造らせればいい。静岡文化芸術大学は県立大学です。今年は12倍の倍率で入ってきた青年たちです。静岡県の人たちが多い。県を愛しています。そういう人たちに来てもらってアイデアを出してもらう。それをプロが見て検証して、本当に造っていくというふうにしていくと、東京のデザイナーに高いお金を払う必要はないわけです。そのための大学です。


医学系の大学は東部に

 最後に医学系の大学をどうするかということですが、これは公約でいいました通りここに持ってこざるを得ない。持ってきます。東部です。ここは健康というものを軸にして基盤をつくる。人をつくる。街をつくる。地域をつくる。そして発信をするといっておりますので、大学は医学系の大学、あるいは医学部、こうしたものがピタッと合うわけです。
 どこにつくるかという、あとは場所だけです。10ヘクタール要ります。大学が来るという事は大学病院が1つ必要です。駐車場も要るでしょう。そういうところを探しているんです。しかもそこには学生が来ますから、学生が来るときに山の中ではやはり具合が悪い。
 今度、東海大学が退かれることになりました。しかしああいうところがすごいと思う人がたくさんいます。ベトナム、あるいはアフリカなどいろいろと恵まれていない人たちが来ると、お茶畑があって駿河湾は望めて、そして原町までバスがある。これは天国みたいなところじゃありませんか。そこは彼らにとってパラダイスになります。学住一体の大学町も出来る。私はそれはジャイカ・グローバル大学院として最初は考えていたんです。しかし今、ジャイカの総裁も外務大臣も文部大臣もそれどころではなさそうで、グローバル大学院というのは人助けになるんです。国際化するんです。若者が来るんです。にぎやかになるんです。日本に憧れているんです。そういう青年たちにはピタッと来る所だと思っているんです。
 一方、日本の医学系の大学とすれば、これは大きな駅の近く、やはり沼津の近くがいいだろうと思いますが、さあそれをどうするか。これは貨物駅の問題があります。JR貨物との関係につきましては、高架の問題、都市計画について10年ごとに政府が事業計画を見直すという事になっています。それを前倒しでやるというので、委員会を立ち上げました。森田先生をトップにしてしかるべき人10人ぐらいで、あのところを一番輝くようにするのはどうしたらいいかという観点からしっかり洗い直していただいています。


リニア新幹線で様変わりする東海道

 ちょっと話が前後するようですが、この東海道は10年もすると様変わりします。どう様変わりするかというと、東海道新幹線は各駅の引込み線を「のぞみ」が通過していきますが、リニア新幹線が出来ると「のぞみ」が通らなくなる。「ひかり」と「こだま」だけが走ることになり、東海道新幹線のダイヤは全く変わってきます。沼津の貨物駅の問題もそのことと連動してきます。この間JR貨物の社長さんにお目にかかったときにその話をすると、「そうなんですよ」と。これはなるほど2025年に出来るということになっていますが、相模原と大月と甲府間とか部分的に共用し、お客さんを乗せていくことになるでしょう。全部出来てからお客さんを乗せるという事になるとは思いません。そうしますとだんだんとダイヤが変わってきます。そうした時に東海道の物流と人の流れがどうなるかという事を考えなければいけない。


日本の本物がここにある

 結論から言いますと、日本の理想郷ということをしっかりここでわれわれが自覚を持ち、かつ人々からそういう評価をいただいていく。これは「ふじのくに」芸術家回廊として、「ふじのくに」日本の本物がここにあると。もう1つ、リニア新幹線が通らないのは京都と静岡県になります。そういう時に、京都は文化力でやっていけるでしょう。こちらは東西の文明と自然とが調和する、日本の、あるいは世界の理想郷として健康産業で売れる。京都は絶対健康産業では出来ません。そういうイメージではありません。ここはできます。それは富士山という値段のつかない財宝がある。あるいは駿河湾という、まさに須弥山と同じですよ。須弥山は半分は海中にあるわけですから。そういうイメージがピタッと来る東洋の理想と。「ふじのくに」の理想郷、神聖なる場所、美しい場所、ここが理想郷だというふうにしていくのですからチマチマしたことで争わないで、10年ぐらいの考えを持ってやっていけば本当にサンフロントになる。太平洋に面する日の本の国、そういうものになっていくだろうと思います。



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