サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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講演  平成22年3月24日(水) 会場/サンフロント
「日本の政治が良くなるために必要なこと」
猪口邦子氏(元内閣府特命担当大臣、少子化・男女共同参画)

政治の機能とは人間社会の困難の最小化である

猪口邦子氏(元内閣府特命担当大臣、少子化・男女共同参画)

 政治とは何か、政治は何をするのか。私が最終的に行き着いたのは、政治の機能とは人間社会の困難の最小化である。それを最小化できるかということが勝負なのだということです。ですから人間社会の困難をまずはっきりしなければなりません。ポイントを外れると支持を失うと思います。人間社会の困難を解決するのは政治だけではなく、政治そのものが他の解決者との競争関係にあり、そこを認識できないと政治そのものの地盤沈下が起きてきます。
そして、政治に頼らなくても困難なものを解決してくれる、より効果的な主体が出てきています。例えばマイクロソフトのビル・ゲイツさん。たくさんの国が集まってアフリカのポリオ撲滅活動をやっていたのですが、そのODAのトータルよりもはるかに大きな金額を一気に投じて数年でこれを撲滅しようとしています。政治に頼むのではなくて、そういう一個人の資金力で人間社会の困難を解決できる場合もあるということです。これからは優良企業になっていくために彼らは政治の向こうを張って人間社会の困難の解決ということを言い出した。それができていないと、多分世界市場での発展が見込めないのではないでしょうか。
企業も努力するし、NGOとかNPO、市民活動、こういう人たちも人間社会の困難を発見し、自分たちこそが解決者であるということで努力するだろうし、政治はそれが何よりも大掛かりにできるということが、問われる課題ではないかなと思っています。


なぜ下野したのか答えを発見できていないから先も見えない自民党

 民主主義は政党政治を通じてより効果的になされる。これは基本的な近代の政治の考え方です。それぞれ政党は、自分の政党が最も効果的に国民に提供できるのは何かということを考えるべきだと思います。
 私の所属している自民党は政府与党を構成していましたが、今は下野しているわけです。どうして下野したのか。その究極の答えを発見できていないから、その先も見えてこないかもしれないと思っています。
 なぜ下野したかという事を考えるときは、なぜ今まで政権が維持できたかを考えてみるとよいと思います。それは50年、全選挙を通じて、まず安全保障はやはり自民党が確実に提供できるという考えが強くあって、支持が高かった。
 ところが冷戦が終わったら安全保障を提供できるのが一つの政党だけではなくなっている。ですから自民党としては次に「私たちの党だけが確実に国民の皆さんにこれを提供できます」というものを発見しなければいけなかったのですが、それを発見できていないから支持を失うことになったと思います。
 自民党だけでなく、それぞれの政党が政権をとったらどの党よりも確実にもっとも素敵な形で国民に提供できますよということを言えないと、それぞれの政党が、やはり政党政治というものの基本を失っていくのだろうと思いますので、そこはそれぞれが知恵の勝負で考えるべきではないかと思っています。


国民の不満

 冷戦が終わると、世界の経済もグローバル化してきました。そこで新たに大事なことは国民経済に勝ちをもたらすということです。
 経済のグローバル化で大国間の戦争はなくなる時代です。近代を形づくった大国間戦争の歴史が冷戦の終結とともにだんだん下火になり、大国間は経済の競争になります。それだけの大競争時代になりますと、フラットな競争ですから、いろいろなところから才能を持った人が出てくる。インドの農村からも出てくる。1年でそのシェアを世界的なものにするというような勢力も出てくる。そういう人とも戦わなければならない大競争時代になったから、政府は日本の企業にどういう負荷をかけてはいけないかということを考えなくてはいけないのです。
 そういう意味では小さい政府が基本という考えもあります。他方では別の考え方もあるかもしれない。それぞれの政党が自分の政党の力の範囲で、どの政党よりもうまく国民社会に提供できるのはこれですというものを発見してくれると、本当の意味での二大政党の意味の深さがあり、これで国民社会はどんどん良くなるということになるのです。
 ですから二大政党というのは、その数が拮抗(きっこう)しているとか、何年かおきに政権が代わるとか、そういう外形的なことではなくて、国民生活にとって大事なことを提供する政党基盤が複数できるか。それが今、結局問われているのです。でも主要政党がはっきりとそれを整理できないまま何となく戦っているので、いずれも支持率を高く持つことができていない。国民が不満なのはそこなんじゃないかということです。


この時代の政治の課題は社会政策の遅れ

 国の政策を大きく分けますと、まず外交・安全保障、それから国内としては経済政策と社会政策があると思います。
 わが国は無資源国ですから非常に経済についての危機感が強く、常に経済政策を優先的に考えてきました。その成果と勤勉な国民性などいろいろな効果で無資源国であるにもかかわらず世界2位の経済規模となりました。経済の歴史を見れば、そのような国家は他にありません。だから奇跡の発展と言われていると思います。
 でも経済政策をほとんど唯一の内政のあり方と考えていたときもあり、社会政策の著しい遅れが目立っているわけです。ですから経済の果実を社会政策に転換する仕組みが上手くいっていない。それがきちんとできるのが、この時代の政治の課題だと思います。
 経済政策と社会政策では、答えの解き方が違っています。経済政策では、例えば今のようなデフレをどう防ぐかとか、金利はどれぐらいかとか、そういうマクロの答えをいくつか用意することによって経済全般を好循環に戻すことができるかもしれない。ところが社会政策の本質というのは、一人ひとりの人間社会の困りごと、家庭の困りごとを解決できるかということです。人の困りごとは多様ですから社会政策の答えは沢山あるということです。
 私は2005年から6年まで初代の少子化大臣でした。子育て、子どものことで困っている家庭は、本当にトルストイの小説ではないですが、それぞれすべて別々の理由で困っています。そこを救済するのは、かなり多様なパッケージが必要です。
 ところがそれを説明しようとするとかなりおもしろくないものになるんです。大臣の記者会見でもあれこれ説明すると、少子化対策をやるならば中心はどれなんだと言う質問が必ず来るんです。新聞記者の皆さんもあれこれ答えがあるということに慣れていないわけです。
 例えば出産の費用が賄えないという問題があり、全部無料化したわけです。本人に払うと病院が取りそびれてしまう。そのために産科が赤字になるとも言われ、機関に給付するようにしました。そういうことを細かく解決していくわけです。
 小学校に上がりますと放課後の下校時間が早いために母親が仕事を辞めなければならないから放課後、小学校の中で預かってもらえないかというニーズがあり、これにも放課後プランで対応しました。さらに進学のことで教育費が不安だという声に対して給付型の奨学金で対応しますという枠を作ったんです。これはまた私が国会に戻れたら大学まで何とか実現したいと思っています。
 こういうふうに100人いれば100通りの答えがある。それを10ぐらいの範疇(はんちゅう)に分けることはできるけれど、1つだけの答えを出すというのは社会政策では適切ではありません。


政治を良くするために社会政策の重視を

 いずれにしても福祉、教育、あるいは医療、そういう分野で世界2位の経済国家の日本にふさわしい実感が国民にないのは転換装置が上手くいっていないからだと思います。
 政治を良くするために、日本としては社会政策を今後、重視する。そのためには経済そのものが、分けるパイが大きくならなければ、元も子もないというところがありますから、経済を「勝ち」に持ち込むためには政府をある程度小さく抑えて社会政策を重視しながら最適配分をしていく。そういうところが課題となっていると思います。
 そして社会政策については地域によって特性があり、ニーズも異なるので、地方議会や自治体の役割が重要になってきます。経済政策では大きな枠があって、その中で地方が分け前をもらってきてということがあるかもしれませんが、社会政策ですとニーズが全く違いますので、自治体の役割が基本的に大きくなります。
 例えば千葉県の農村地帯では通学路が整備されていなくて非常に危険だということや小児病院が2、3時間行ってもまだないというようなことは何とかしてほしいと。やはり社会政策については総合性が重要ということが今後の課題かもしれません。


平和をめざすコンベンションは21世紀型の産業

 お聞きしますと沼津でもコンベンション施設の計画があるそうですが、コンベンションは21世紀型の産業として今後発展する見込みがある分野です。私はJCCB(日本コングレス・コンベンション・ビューロー)というコンベンションビューローの全国版を学者の時代に、国際政治学者として創設しました。平和の本質を考えるのが国際政治学ですが、1人でも多くの世界市民が日本を訪れること、これも平和の砦(とりで)だといえるのではないかと考えたからです。
 例えばユネスコ憲章があります。その前文に「紛争は人の心に始まるものであるから人の心に平和の砦を築かなければならない」という有名な文章があります。人の心に平和の砦を築く。いろいろなことがあるけれど、一番単純に日本に多くの世界市民が来てもらえるだけでもいいじゃないか。国際会議を日本で、世界の会議は日本で、というキャンペーンをしてみようと思いました。全国組織と主要な支部もできまして、現在、私が会長をしています。


克服の最大の母は弱い部分の認識

 日本は国際会議を誘致するのが苦手だと思います。英語を話さなければならないし、施設も不十分です。考えてみますと、強い分野でリーダーシップを発揮できることはかなりまれで、むしろ決定的に弱い分野こそリーダーシップを発揮できるというところがあります。ただし条件があって、その弱い分野を認識するということです。認識は克服の最大の母です。認識した瞬間、ここが自分のアキレス腱(けん)であり、100倍努力しなければと思うのです。
 例えば今、一般観光客の訪日数の日本のランキングは28位です。観光客はなかなか日本に来てくれないのです。日本は自然も豊かでエキゾチックなものも沢山あるからごく普通に人気があるのではないかと思うんですが、そこは慢心なんです。国際会議を日本に誘致する。これは日本は不得意だろうと思います。ですから100倍努力をするわけです。過去3年間の日本の誘致実績は、世界ランキングで4位です。1位がアメリカ、2位がフランス、3位がシンガポール、4位が日本です。実に不得意なところを必死の努力をすると案外いい成績が出せるということです
 同じような文脈で、例えば環境分野についてですが、日本は資源・エネルギーがないわけですからここが自分のアキレス腱だとずっと国民的に思っています。その結果、頭をもたげてみたら世界一の環境技術を持っているわけです。


中国は弱さを認識して猛烈な英語の勉強を始めている

 コンベンションを日本に誘致するときに、英語での交渉力が非常に重要です。中国は自分なりにその弱さを認識して、どの国よりも激しい努力をし始めています。日本も同じ弱さをもっているのですが、その弱さを認識していないわけです。
 中国が認識したのはインドの台頭をきっかけにしています。お互いに資源国で、ライバル同士ですが、中国はある日、決定的なことを認識したんです。インドの人は皆英語がぺラぺラだと。ここが中国のアキレス腱だと思った瞬間、猛烈な英語の勉強を始めたのです。10年前、中国の方たちはなかなか交渉上手という方は珍しかったでしょうが、今はどの会議場に行っても中国の方は皆英語を話しているんです。幼稚園も英語だけで教えるというようなものを各村に設置して、そこが激しい入園倍率になっている。
 ところがわが国は小学校から英語を学ぶと日本語ができなくなるかもしれないというような議論をしていますので、この10年の遅れは厳しいと思います。TOEICの平均点を取ると日本と北朝鮮がアジアで最下位なんです。これは同じ弱さを持っていても認識するかしないかです。日本として何か努力する必要があるし、経済を運営していくためにもこれは必要でしょう。


最近のコンベンションは総合ビジネス

 最近のコンベンションは、展示とセットで会議を行いますので、総合的な能力が必要となります。
 例えばダボス会議など国際会議の大きな潮流を見ますと、すべての壁が展示なのです。展示そのものは激しいビジネスで、そのビジネスを競ういろいろな最先端のパフォーマンスがあって、その展示を例えば設営する技術者にビザを発行することができるかとか、そういうことの交渉がコンベンションビジネスの最先端にあります。
 コンベンションを誘致するためには、まず日本は交通を格段と改善する必要があります。空港、鉄道、道路、港湾、その連結、モデルシフト、その利便性の向上を工夫し、宿泊施設、インターネットの接続なども当然の課題になります。会場施設が日本は不足しています。東京でも本当の世界会議ができないという専門家の意見が多いです。
 例えば、どの学問分野も世界大会があります。世界小児科学会とか政治学会とか、あらゆる分野で会議があり、そこに出るのは自分の人生で1回か2回です。そういうところに出られるのは本当にピークのときだけです。世界中からピークの瞬間をヒットしている人が来るわけです。その人たちは不況だろうが必ず来ます。そのピークのときは職業の最前線にいますから波及効果がとても大きいです。そういう意味でコンベンションの誘致産業というのは平和の礎をなすだろうと思って、推進しているところです。
 他にも誘致交渉術、コングレスオーガナイザースのようなサービス業、通訳、観光も重要です。アフターコンベンションのための豊かな観光資源が身近にあるというのも、コンベンションを落札する決め手となります。そういうふうに総合ビジネスです。
 20世紀は商社が総合ビジネスでした。21世紀はコンベンション産業が総合ビジネスになれると思いますが、総合性が整わないと競争力に繋(つな)がらず、落札に繋がりません。でも、それが全部整っても上手くいかない場合もあります。本当に大きなイベント、例えばオリンピックのようなものの誘致に成功するためには、さらに一段何かが必要になって、それが政治に関わってきます。


オリンピック誘致に成功するのに必要なこと

 次のオリンピック開催地はリオに決まりました。いろいろな分析があると思いますが、本当に大きな、世界的な認識を得るようなイベントで、誘致に成功するのは、その国が人間社会の困難を解決する努力において「光」があるかということです。光のある国の方に行ってしまうということです。
 ブラジルは貧困撲滅という大きな課題に取り組んでいます。ルーラ政権は左派政権として出発しましたが、待ったなしの貧困ですからいろいろな工夫をしています。乳幼児の死亡率が非常に高く、女性の識字率が低く、予防接種のワクチンにアクセスしてくれない家庭が多い奥地の貧困撲滅に乗り出し、一定の成果を挙げ始めました。すさまじい貧困問題をついに克服する政権が出てきたということです。
 例えばどうすれば予防接種のために保健所に行ってもらえるか。保健所に子どもを連れていったか、予防接種をしたかを家庭給付の条件にするわけです。こうしたちょっとした仕組みで、乳幼児の死亡率が奥地で激減したんです。そういう成果を見ると、審査員は貧困撲滅という大きな課題に取り組む政権について支援したいとか何がしかの感情を持ちます。


日本のテーマは充実した長寿社会の実現

  日本が勝つためには独自の人間社会の困難を克服する光を発信しなければならないのです。例えば2020年のオリンピックに広島も手を上げていますが、そのテーマはなんでしょうか。日本が一番人類に先駆けて抱えている困難性は高齢化です。高齢化社会というものがどんなに急速でも、そこに希望と可能性があり、充実していれば、そこに長寿社会というものを世界に先駆けて示し、取り組む政策に光がある。そういう政策を推進している政府にちょっと味方してやろうということになる。そこに人間社会の方向性や解決の道筋や、何かを見いだしてこそ、かもしれません。
 地域の経済に対する効果が大きいですから是非コンベンションの推進をわが国としても進めていくと、政治も経済も国際水準で競争して勝つということの、その刺激を受ける中で何かが進んでいくかもしれないと思います。

健康長寿のために安全かつ快適に歩ける歩道整備を

 高齢化対策の一つとして、もう少し歩道を整備したらどうかと思っています。日本は近代化を急ぐ中で歩道のない道路を造ってきましたが、歩道の設置が不況の中の人間のための公共事業として進むといいのではないかと思います。
 交通事故死の中で歩行者が占める割合が先進国で日本は最高なんです。その歩行者はまず高齢者です。高齢化社会の中で外をきちんと安全かつ快適に歩ける空間があることは健康長寿のカギとなるのではないでしょうか。でも「おばあちゃん、危ないから外に出るな」となってしまうのは、安全な歩道がないからです。
 それから通学路の整備の著しい遅れもあります。これは歩道とセットできちんとやるべきで、こういう不況の中で小規模かもしれないけれど地域経済に潤いを多分もたらすことにもなり、経済波及効果は意味があると思います。
 そして人間に優しいコンクリートということにもなるから、是非、地方議会でも自分のところの歩道の設置はどうかということを聞いてみていただき、具体的な少子化対策にも関わりますので、歩道の整備をやっていただきたいと思っています。


退職者がつくったダボス会議

 もう1つ私が高齢化社会との関係で重視したいことがあります。それは退職者のことです。私はダボス会議からヒントを得ました。ダボス会議は退職者がつくった会議体です。
 ダボスというのはチューリッヒからハイウエーで2時間です。1月に開くから大雪の中です。VIPたちはヘリコプターで来るんですが、悪天候で7割は飛ばないのです。陸路も閉鎖になっていることが多く、現職の忙しい人はダボスには絶対行くべきじゃないという思想でつくられているんです。それだけ不便なところにたどり着く人は本当の情熱を持つ人なんです。世界を変えるには本当の情熱を持っているかどうかだけで判断した方が手っ取り早いと。ダボスでは本当の情熱が試されることになります。
 ダボス会議はトーマス・マンの「魔の山」の舞台となった小さな村でやっています。そこに例えば大臣を終えた人、社長を終えた人、こういう方たちが集まって来る。現役を終えた人たちですから最も能力が高い人たちと言えます。そしてすべてから開放されており、やり残した本物の問題意識を持っているわけです。だから世界をどうよくするかということについて一番深い理解がある。かつダボスまでわざわざ来るという人は情熱が本物だと。そういう人だけでいいということから始まったのがダボス会議です。
 そこで出てくる考え方は1月に行われますので、その年の国際政治の大きな流れを決めることにもなるという噂(うわさ)が立ってきて、現職が皆大騒ぎでどんどん行くことになっているわけです。日本からも過去2回、安倍総理と福田総理が行っています。
 ダボス会議は退職者とともに、もう一つ、未就職者に着目しています。未就職者はなぜ自分が未就職であるかということに鋭い問題意識をもっているからこの時代の問題を指摘できる。時代の一歩先をいっているわけです。でも、その人たちはお金がないからダボスに行けないわけですが、この人だと思う人に突然招待状が来るんです。ファーストクラスの航空券とともに。その人が大臣、元総理、元大統領、NGOや有力な活動をしている人たちと同じ資格で並ぶという感じの会議体になっています。
 企業の社長さんたちも来ています。条件があって秘書付きは駄目で自分が討論し、本当に参加するという決意で行かないと駄目なんです。言語は問われないですが、英語でないとみっともないというところがあります。
 ダボスの専門家会合もあって、私は少子化大臣をやりましたから人口動態の専門家だと呼ばれていますが、資料が出てくると、そこにミニスター猪口と書いてあるんです。「私は元職ですよ」と言うと、「貴女が大臣か大臣じゃないか、それはどうでもいい。貴女はこの会場に来て、論文を発表し討論をしている。そういう情熱を持つ人が現職なんだ。これがダボスの定義だからミニスター猪口で構わない」と。こういう考え方なんです。


ダボスが主張している究極の展示とは人

 ダボス会議の展示場ですが、世界のあらゆる問題のブースの展示があるのです。例えば子ども兵の問題、貧困の問題、軍縮の問題、哲学の最先端、あるいは再生医療の最先端。展示ブースですからパネルがあって写真や模型もあって、説明するスタッフがいてと、こんなイメージの展示会を日本だったらやると思いますが、ダボスが主張している究極の展示とは人なんです。そのブースには人がいるのです。
 世界一の哲学者がそこに座っているわけです。その人と討論したくてそのブースに行くわけです。行けば討論できる。それから貧困対策といったらルーラ大統領がそこに座っている。例えば県のブースをつくるときには知事がちゃんとブースに入っているとか、トップリーダーシップとはそういうことをやらなければならない時代なんだということです。
 やはり人と出会うということが究極の知的な努力、贅沢(ぜいたく)なことで、だからダボスに皆行きたがるというような考え方です。
 60も100もあるブースの中で、人気ブースに人が殺到します。これが競争なんです。不思議なブースに人がわっと群がっているんです。ブースにはちゃんと話ができるように20人しか入れないようになっています。何日待ってもその人と会話をしたいという人たちがいるのです。そんなことが1つの専門家会合の姿で、そういう成果を持ち寄って1月のダボス会議というのはなされます。


高い能力を持った退職者を地域社会も生かしてやったらどうか

 国際社会も、そういうふうに退職した人たちの知恵を生かしてやっているから、今度は地域社会も退職者を生かしてやったらどうでしょうか。私は日本の社会政策の遅れを取り戻すためには、その人たちの力を借りないとできないんじゃないかなと思っています。
 企業を一流にした人たちです。地域からそういう人たちがずっと抜けていたんですから、今度は地域を一流にしてもらうだけの力を発揮していただく仕組みができれば可能ではないのかと。
 ある程度、家庭の責任が楽になった主婦とか、いろいろな意味でのメジャーな仕事を終えた方、その人たちに地域の中で活動してもらう。そのためにセミボランタリーなシステムをつくったらどうかと思います。例えば時給800円くらいのセミボランティアとして制度を導入することができれば、退職者にとっては年金の足しにもなるし、専業主婦にとっては初めての現金収入ということにもなるし、続く制度となるかもしれません。
 ぜひ、退職者、高齢者を地域の中でいろいろな能力を発揮した地域問題解決のソリューション・プロバイダーとしての役割を発展させるといいと思います。高い能力をもった人たちが、村に、地域に戻ってくるんです。そこを生かして日本の地域こそ、今度は一流になるように、というふうに思っています。


退職者等の協力で小学校の放課後の活用を

 少子化の観点から1つの例を言いますと、小学校の放課後、ここに地域で才能のある人が教えに行くというシステムをヨーロッパは皆持っています。日本では学力低下が問題というのがありますが、学力低下は学習指導要領の問題ではなくて、放課後の時間がスカスカだからなんです。
 小学校の中で放課後、予習をきちんとやってあげる。あるいはスポーツをやりたい子はスポーツ指導、あるいは才能がある子は才能教育、こういうことを小学校の中でできるシステムをつくることを願っています。
 実は大臣のときに「放課後子どもプラン」という制度を導入しました。予算もついているのですが、地域の教育委員会などが積極的にこの考えを分かってやってもらわないとうまく機能しないんです。
 そのヒントを得たのは軍縮大使を務めていたジュネーブです。スイスの子どもたちはみんな村でこれをやってもらっているのです。村の小学校はその村の才能が次世代に伝授されるべき場所という認識です。才能はいろいろな子に宿っている。村に生まれ、関心を持つ子供に伝授すればいいと。
 例えばバレリーナになりたい子がいたら村一番の昔バレリーナを志したおば様が非常に厳しいレッスンをしに来てくれる。あるいは歌手になりたいといえば、昔音大を目指したお姉さんが教えに来てくれるとか、サッカー選手になりたいときはスポーツお兄さんが教えに来てくれるとか、その子が持つ才能に的確に応える大人が村を見渡せば必ずいるわけです。 
 ですからヨーロッパは小国でも世界のいろいろなコンペティションで勝つ率が高いのです。その養成の仕方が村全体を母集団にして、一生懸命村の才能を次世代に伝授すること、これが退職した人を中心に、あるいは主婦でも自分の子育てが一段落した人を中心になされている。
 いろいろな方法で地域社会を、そうして大人の水準を次世代に伝授する方法というのは、今後工夫していくとできると思います。そんな事を国全体でやっていけば経済政策重視の日本において社会政策の遅れを取り戻す事が可能じゃないかと思っています。こういうその村あげての努力をしないと国が全部やれるわけではなく、自治体が全部やれるわけでもなく、でも人間社会としては全部やれると。ですからそこを引き出す政治の力というのが重要なんじゃないかなと思っています。


自分の苦手の克服を

 私も立法府に戻って努力したいと思うんですが、政治は本当に一人ひとりと言葉を交わしながら、こういうことでお困りなのかと、御用聞きを基本としてやってみたいと思っています。
 猪口さんは地べたで一生懸命一人ひとりの有権者の意見を聞いて回るようなことは不得意でしょうと言われるんです。「そうか不得意かもしれない」と思ったから、今100倍努力をしているところです。
 駅頭演説を議員さんたちはやりますが、私がやっているのは200メートルごとの連続政策遊説です。駅から始まって200メートルごとにやるんです。連続政策遊説中といって10分くらいお話しして、また200メートル先まで行きます。そんなことで千葉県全部を回れるわけがないと言われますが、いろいろなことが分かります。一緒に飛び込んできてくれて、のぼりを持ってくれる人もいるんです。
 軍縮大使だったとき、自分の苦手は英語でした。ネイティブスピーカーと交渉するわけですから。英語は得意だったと思っていたんですが、やはりそこがアキレス腱でした。それを補うために毎朝、5時起きして条約を全部暗記するのです。英語を上手になる決定的な方法はとにかく文章を暗記することです。暗記した文章は口をついて出ることがあるんです。
 条約文を暗記していると、フォーマルな表現をさっと言うことができるので、ちょっと高みに立つことができるのです。交渉というのは、心理戦ですから最初に気後れしないことが重要なんです。それで相手が突っかかるだろうなと思う条文のところは特によく暗記しておいて、やはり突っかかったと。何か言って来たら、例えば10条22項のところにはこう書いてあるけれど、お宅の国益に反さないから日本案でいいでしょうと畳み掛けるのです。
 そうすると相手がその条項を一生懸命見るわけです。見た瞬間にこう書いてありますよと、言ってあげるんです。これだけで半分勝負がついているわけです。だから暗記しなければ駄目ですね。それを誰にも知られないように自分だけで毎朝努力したわけです。
 それは本当に自分の弱さ、英語を母国語として生まれていないということで、国益を失ったらどうしようとか、そんな決意で取り組みました。
 私もそうやって自分の苦手を克服しながら、でも100倍の努力をしながらやっていきたいと思います。そこを認識して克服していくと、政治の力、経済の力、市民社会の力、個人の力、合わせてどんどん良くなっていくのではないかと思います。

 
◇猪口邦子

前衆議院議員
自由民主党千葉県参議院選挙区第五支部長
政治学博士(Ph.D.)・日本学術会議会員
兵庫県立大学客員教授
元内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画)
元軍縮会議日本政府代表部特命全権大使
JCCB(日本コングレス・コンベンション・ビューロー)会長
日本大学国際関係学部教授

略歴
1952年 千葉県生まれ
1975年 上智大学外国語学部卒業
1977年 エール大学政治学修士号取得
1982年 エール大学政治学博士号(Ph.D.)取得
1981年 上智大学法学部助教授
1983年〜1984年 ハーバード大学国際問題研究所客員研究員
1985年 オーストラリア国立大学政治学部客員教授
1990年〜2002年 上智大学法学部教授
2002年〜2004年 軍縮会議日本政府代表部特命全権大使
2003年 軍縮会議(ジュネーブ)議長
2003年 国連第一回小型武器中間会合議長
2004年〜2006年 上智大学法学部教授
2005年〜 日本学術会議会員
2005年〜2009年 衆議院議員



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