サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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活動内容
平成22年度の活動方針

活動報告
平成22年度
平成21年度
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平成19年度
平成18年度
平成17年度
平成16年度
平成15年度
平成14年度
平成13年度
パネル討論「地域の食文化でまちおこし―富士山ろく B級グルメルート」
<パネリスト>
土橋 克己氏(みなさまの縁をとりもつ隊代表)
小川 和孝氏(富士つけナポリタン大志館特命全権大志)
渡辺 孝秀氏(富士宮やきそば学会運営専務)
<アドバイザー>
田村 秀氏(新潟大学法学部教授)
<コーディネーター>
大石 人士氏(静岡経済研究所・研究部長 サンフロント21懇話会TESS研究員)

静岡経済研究所・研究部長 サンフロント21懇話会TESS研究員
 大石 人士氏

大石 富士山ろくにはいろいろな食材、おいしいグルメがたくさんあることは皆さんよくご存じだと思います。その中でも特に最近、B級グルメ・ご当地グルメとして注目されているものがあります。富士、富士宮、それから昨年のB-1グランプリでゴールドグランプリを獲得した甲府鳥もつ煮と、この辺りにずっとつながっています。県東部では富士山の東側にも三島から裾野、御殿場から小山町とつながり、さらに山梨県側にいきますと富士吉田のうどんもかなり有名です。富士山の周辺にはいろいろな食材がたくさんある。つながりを持てれば地域連携やネットワークが可能になる。私どもサンフロント21懇話会は県東部地区の活性化を推進している立場から地域の方々の活力も出てくるのではないか、と今回のテーマを選ばせていただきました。
 トップバッターは甲府鳥もつ煮を一躍全国に知らしめた「みなさまの縁をとりもつ隊」の代表・土橋克己さんです。甲府鳥もつ煮の特徴やこだわり、縁をとりもつ隊結成のきっかけ、B-1グランプリ挑戦までの経緯などをお聞かせいただきたいと思います。


組織から無理という言葉をなくす


土橋 まず初めにお詫びを。甲府鳥もつ煮を食べられるのでないかと期待していたかと思いますが、出し惜しみではなく、われわれの料理は「照り」が命の料理でレトルトとかにそぐわないものなので、公認した商品というのは一切ありません。公認をしていない商品をこちらに並べて皆さまに評価していただくとか、楽しんでいただくということができない料理ですので、すみませんが、この場にご用意しておりません。観光マップと鳥もつ煮マップを資料として配布しております。甲府とこちら(富士市)は、車で1時間半、電車なら1時間45分ぐらいです。一度甲府にお越しいただければと思います。
 今回、B-1グランプリでゴールドグランプリという賞をいただきましてお話しをさせていただく機会が増えています。人生の先輩方の前でお話しするのは若輩で僭越(せんえつ)ではありますが、どうしてこのような活動を始めたのか、若者の思いというか夢みたいなところを聞いていただければと思います。よろしくお願いします。
 甲府鳥もつ煮につきましては昭和25年ごろ、甲府市のお蕎麦(そば)屋さんで生まれたようです。なぜお蕎麦屋さんからといいますと、お蕎麦屋さんにはかしわそばというものがあり、ムネ肉とかモモ肉とかを食べる文化が昔からありました。甲府は昭和20年に甲府空襲に遭っています。空襲に遭った貧しいまちですから、かしわそばでは使わないホルモンを何とか活用できないかということから始まったようです。どんな部位を使うのかと言いますと、砂肝、ハツ、レバー、キンカン(柑橘系のキンカンから)です。この4種類の食感のハーモニーを楽しんでいただく料理です。なぜ食感のハーモニーかと言いますと、砂肝はプリプリ感、ハツはしこしこ感、レバーならば軟らかさ、キンカンですとプチッとした食感、それぞれのハーモニーをお楽しみいただけるということで、食感のハーモニーとPRさせていただいています。鳥のレバーは豚の百倍もの鉄分があり、高たんぱくです。砂肝は低脂肪で高たんぱくの代名詞といわれているもので、栄養にもいいといわれています。ただ醤油(しょうゆ)と砂糖が1対1という料理なので食べすぎには注意していただきたい。
 どうしてわれわれが甲府鳥もつ煮を、もともと鳥もつ煮、鳥もつとして店に出ていたものを取り上げ、PRしようかと思うようになったかと言いますと、私は今37歳ですので、25年ほど前、小学生とか中学生の時には、中心市街地にすごくわくわくして出掛けたという記憶があります。老舗のデパートとかがありまして、エスカレーターに乗るためにわざわざ中心街に行ったりとか。一つ一つにステータスみたいなものがあって甲府のシンボルにもなっていました。私は4年間の大学生活を経て、平成8年に甲府市に帰って来ましたが、中心市街地にあった大型店舗が郊外に出ていき、中心市街地が寂れてしまっていました。
 甲府市の職員として市のことを一番考えなければならない我々が、何か行動を起こさなければいけないじゃないか。そんなことを日々飲み会の席で同僚たちとよく話していました。そんな中で面白いことは、飲んでいるときにノートに書くことにしていました。なぜノートに書くかと言いますと、現在夢とか目標って語るのが恥ずかしいご時世になりましたが、お酒を飲んでいるときはかなりいいことを言っている。それをメモ書きすることによって後日見直すことができる。さらにはこれを提案できるんじゃないかということで、そうした話はよくしていました。市の職員は、所属する部署のゼネラリストのような職種にしか携われないところがありまして、どうしたら中心市街地の活性化をわれわれができるかということを話したときに、市民活動としてやったらどうかということになりました。2年前ですけど、活動を起こしました。市民活動としたもう一つの理由は、組織の壁というものを少し壊したいなと思ったからでもあります。
 今、私のポジションは主任という一番下の役職ですが、その上には係長とか、課長とか、部長がいまして、常に物事を起こしたい、やりたいと言いましても、上の方たちの許可とか判が必要になってきます。それを1つ1つクリアするのはなかなか大変です。実際に市民活動として土、日曜日ですとか、時間外、役所の場合は平日午後5時半以降に何か活動することによって、市民のために甲府市を何とかできないかというところから始めたのがみなさまの縁をとりもつ隊という活動です。
 市の職員がやっているということで公費がつぎ込まれているんじゃないか、ということを言われますが、自腹は切っても一切公費などはもらっていない。行政マンなのにおかしいかもしれませんが、田村先生が基調講演でおっしゃったように、行政が主導すると、ガチガチの枠にはめるので、あまりいい活動はできないなと思ったからです。今回たまたまB-1グランプリでゴールドグランプリという賞をいただきましたが、そのときに感じたのは、行政は市民に支えられることにすごく長(た)けている組織なんだなということです。「頑張れよ」という声はいただきましたが、税金の投入とかそういった話は一切ありませんでした。
 より多くの方が甲府市に来ているという現状の中で、皆さまに配ったチラシをコピーし印刷していただいたりですとか、ポスターを作っていただいたりとか、そんなことを市の方にもやっていただいております。私は中央卸売市場というところにいましたが、B-1グランプリでゴールドグランプリを受賞後、代表電話が私の個人電話になっていましたので、1日に電話が100件以上という状況が2週間以上続きました。この現状をみかねたうちの管理職がぜひあいつを動きやすいところに異動させてやれということになり、今、観光開発課に属してここには公務で来させていただいています。市の管理職とか上層部の方にすごく感謝しています。
 もう一つ、われわれは平均年齢33歳、10人で始めました。今15人増えて全員市の職員で平均年齢も30歳を切っています。一つだけ約束事をつくっています。「この世から無理だという言葉をなくそう」。これはもらった言葉です。北海道の方の講演を聞いてすごく感銘を受けた言葉であります。講演会の中でおっしゃった「無理だ、という言葉は一人一人の可能性を殺してしまう言葉だ」ということに、私はすごく感激して「僕らの組織には無理という言葉をなくそう」という約束事が生まれました。これをやりたいといえば、君だったらできるよ。それはプレッシャーをかけるということになるかもしれませんが、一人一人から湯水のように意見が出てくるような環境づくりを中心的にやっていった結果、2年7カ月という短い期間でしたが、B-1グランプリに出場することができたのではないかと思っています。これが活動の紹介です。
 思いがあれば伝わるじゃないですけど、今回、B-1グランプリという素晴らしい大会に出させていただいた中で、そのとき52人で行ったんですが、一人一人が甲府市を何とかしたいという目標を持ち、全員がベクトルを一緒にして臨んだ結果だと思います。2年7カ月というのは富士宮の渡辺専務の団体に比べると、4分の1しか活動していないひよこ団体ではありますが、甲府鳥もつ煮を広く知っていただけるよう頑張っているところです。

大石 吉原商店街発のご当地グルメということで注目されている富士つけナポリタンの小川和孝さんの肩書は特命全権大志。今日はTシャツ姿です。富士つけナポリタンの特徴とか、こだわり、開発からデビューまでの経緯とか、皆さんとは異なりちょっとユニークです。タウンマネジメント吉原としてまちづくりにもかかわっています。その辺の経緯も含めてお話しいただければと思います。


ルールは2つ、分かりやすく


富士つけナポリタン大志館特命全権大志
小川 和孝氏

小川  私一人だけが、こうしたラフな格好で出てまいりましたが、これはいってみれば私どもの正装です。これを着て皆さんの前でお話しをすることによって、臨場感を持って聞いていただけるんではないかと思います。非礼を承知で皆さんの前に立たせていただきました。
 タウンマネジメント吉原というまちづくり組織なんですが、最近では富士つけナポリタン大志館という名前で活動しています。この大志館は各国にある日本の大使館ではなくて大きな志に館と書きます。私どもが大きな志をもってまちづくりに臨もうというような、崇高な思いといいますか、ちょっともったいないですけど、そんな名前を付けさせていただきました。大志館ですから、自分でいうのは何ですが、私は特命全権大志、ボンジョルノ小川こと小川和孝と申します。
 ここからは座って話させていただきます。私どもは甲府さん、富士宮さんとはちょっと違ったところがございまして、スタートが若干異なっています。これはのちほどお話しします。つけナポリタンの特徴とか、こだわりとかそういったところからお話を進めます。
 つけナポリタンというのは非常に分かりやすくて、ルールはたった2つしかありません。まず1つは、サンプルをご覧になった方もいらっしゃるかなと思いますが、いわゆるつけ麺(めん)のスタイルです。つけだれと言いますか、麺とスープが分かれている。日本人にはなじみのざるそばを連想していただければ分かりやすいと思います。麺とスープが分かれている。もう一つはつけだれ、スープの方ですが、ダブルスープと言います。一つトマトスープをベースにしてもう一つのスープを加える、いわゆるダブルスープという手法を使いなさい。ルールはこの2つしかありません。
 お手元の資料につけナポリタンの食べ歩きマップ、商店街マップの2つが入っていますが、食べ歩きマップの方をご覧いただきますと、今42種類、市内外でつけナポリタンを提供していただけるお店があり、それぞれに特徴がございます。田村先生が基調講演で触れられていましたが、あまりハードルを高くしてしまうと、おそらく私どもはまだ2年弱ですが、ここまでのスピードでは参加店が増えなかったのではないかと思っています。たった2つのルールしかない、簡単だったということが、今にして思えば良かったかなあと思っています。1つだけ反省点があります。それは何かというと、やむを得ないところかなとも思うんですが、実は元祖、そもそも開発した時にはオリジナルの麺を使っております。もちろん今でも3分の1ぐらいはオリジナルの麺を使っていただいています。オリジナル麺はどんなものかと言いますと、ラーメンとパスタの融合体であると思っていただくと分かりやすいでしょう。大ざっぱに言いますと、ラーメンに使われる粉7に対しパスタに使われる粉3で配合します。これがつけナポリタンの1つの売りだと私自身は思っています。できれば3つ目のルールとして使っていただきたいと今でも思っていますが、それを言わなかったために、おそらくこれだけお店が増えたのかな、今となってはそんなふうに思っています。
 先ほど42種類とお話しました通り、麺はオリジナル麺から始まり、さまざまな麺がございます。パスタをそのまま使っているところももちろんあります。そのパスタの中には、生パスタがあります。乾麺をゆでて使っているところもあります。皆さんそれぞれ研究をされまして、パスタの中でもカッペリーニ、天使の髪の毛といわれる素麺のような細いパスタを使ってみたり、きしめんのような感じの麺を使ったりとパスタだけでもさまざまです。変わり種では、今つけ麺ブームですから、いわゆる中華麺でのつけ麺もたくさんあると思います。これはだいたい中華料理屋さん、ラーメン屋さんです。これはエッと皆さん思われるかもしれませんが日本そば、これでつけナポリタンをやられているお店もあります。トマトスープになぜ日本そばがと思われるかもしれませんが、なぜかこれもいけるなと私は思っております。
 私がこんなことをやっていますと、「どの店がおいしいの、どこにいったらいいの」とよく聞かれます。優等生的ですが、「全部おいしい。だからつけナポリタンは食べ歩きが楽しいんだよ」と答えるようにしています。「まずやはり元祖のお店からスタートしてくださいね。そのあとはそれぞれのお店の食べ歩きを楽しんでください」ということを話しています。何度も何度も言いますが、お店の皆さんはそれぞれスープにも麺にも工夫を凝らしていますので、現在は42種類のつけナポリタンがある、ということがつけナポリタンの特徴かなと思っています。
 ちょっと他とは異なる変わり種ということで、つけナポリタン開発のきっかけ、できるまでの経緯ということでお話を進めさせていただきます。2008年9月、さかのぼりますと2年とちょっと、まだそんなに時間が経っていません。たったそれだけの時間ですが、おかげさまで42店になりました。東京の某テレビ局と吉原商店街のコラボで開発されたのがつけナポリタンです。少し詳しくお話しますと、どうしてそんなところからということですが、富士宮やきそばがあったのでこれを意識しなかったといったら絶対に嘘になります。これほどメジャーになりました富士宮やきそばに触発されてのことだと思っていただいて結構です。「何とか対抗できる、負けないようなものを作りたい」というところから出発をしまして、そこにたまたまテレビの関係もありましたので本当に運よくつけナポリタンを手にすることができたということです。
 2008年9月10日から15日まで、そのテレビ局の番組のロケがございました。その6日間、私は本当に24時間とまでとは言いませんが、日が昇って日が沈むまで6日間ずっと一緒にいました。最終日の9月15日にイベントを商店街の中で開催しました。富士は紙のまちなので、紙にまつわる何かイベントをしようということで、ちょうど商店街の真ん中あたりのスペースを使いまして紙まつりというイベントを行いました。もちろんこれもテレビの中の企画の一つではあるわけですが、事前に市民の方にお知らせをしておきましてこういうイベントがありますので皆さん集まってくださいねということでイベントを開催しました。そこに実はもう一つ新しく開発したものがございました。つけナポリタンのほかに富士みそ焼きそば。この2つの新しいメニューを開発しました。それを集まっていただいた市民の方に100人限定で、実際に食べていただいたのは200人近くだったんですが、収録の関係で時間を切りまして100人限定で、富士みそ焼きそば、つけナポリタンの両方を食べていただきました。そして皆さん方に投票していただき、その結果68−32でつけナポリタンということになりました。そこから吉原はつけナポリタンのまちを名乗っていこうじゃないか、つけナポリタンをツールにまちを元気にしていこう、ということがスタートしたわけです。
 テレビの関係ですので、それがオンエアされるまで少し時間がありました。9月15日に終わりまして10月16日、およそ1カ月間のブランクです。そのときに失敗したな、あのときもうちょっと動いておけばよかったなと実は反省していることがございます。番組のディレクターから、テレビで放映される前にあまり情報が外に漏れると、おもしろくないものになってしまうので、口外してくれるな、動いてくれるなと釘を刺されました。私も素直なものですから、それをその通り守りまして本当に何も準備をしなかった、動かなかったんです。ところが10月16日木曜日でしたが、オンエア後、次の週末にはアドニス、これは元祖の店ですが、ここに関東一円からお客さまが一斉に押し寄せまして、まったく入れない。そういう状況が発生してしまいました。ああこの期間に準備をしておけば良かった、少なくともここで200食、300食提供できるようにしておけば、と悔いが残った。実際にそういうことがございました。
 そこから急きょ、アドニスというお店は火曜日が定休日ですが、そこを使いましてとにかく受け入れるパイを増やさなくては、お店を増やさなくてはいけないと、各飲食店の皆さまをお招きして講習会を開催しました。もちろん開発までに至ったスタンダードのレシピというのはすべて公開しました。「このままやるもよし、あるいはご自身でアレンジするもよし」ということでお話をしたわけですが、皆さんなぜか同じものをつくろうとはしなかった。それで何度もお話しているように42種類のつけナポリタンができあがったわけです。11月には4店舗、12月には8店舗になり、新しくマップを作ったときは15店舗です。ほんとにうまい具合にちょうど倍々で、現在42店舗となっています。そんな経緯でして、つけナポリタンは発掘型ではなくて開発型ということでございます。
 最後にまちづくり組織、タウンマネジメント吉原との関連にも触れさせていただきます。今私が所属といいますか、つけナポリタンを通じてまちづくりをしているのはこのタウンマネジメント吉原という組織です。まちづくり3法のときにTMOというものを各地でつくりなさいという行政指導がありましたが、実は私どものタウンマネジメント吉原は任意団体でして、私は会社組織にしないで今の任意団体で良かったのかなと思っています。吉原は商店街なので商業者を中心に構成しています。商工会議所が事務局となりまして、行政関係者ももちろん入っていますし、一般の市民、それからNPOの関係者、主婦だとか学生だとかそういった方々も入っています。そもそもは商店街とテレビ局のコラボでできあがったものだったんですが、どうしてそれがまちづくり組織なのということですが、商店街というのは文字通り商店街だけしかないものですから、吉原の商店街のエリアの中では少しお店も足りないし狭いので、もう少し活動エリアの広いTMO、タウンマネジメント吉原に活動母体を移管しようということで、このオンエア後、間もなくタウンマネジメント吉原につけナポリタンの活動母体を移管しています。


埋もれていた蒸し麺やきそば


富士宮やきそば学会運営専務
渡辺 孝秀氏

大石 富士宮やきそばはまさにB級グルメのトップランナーです。昨年10周年を迎えました。ここまでブレークしてきた背景を短い時間では話し足りないかと思いますが、富士宮やきそばの特徴、こだわり、こういうかたちになってきたきっかけ、どんなことを目標にずっと継続してきたのか、お聞かせください。
渡辺 富士宮やきそば学会運営専務の渡辺孝秀です。きょうは運営専務の肩書での参加ですが、立場的にいうと富士宮やきそば学会、ボランティア活動の運営団体の専務ということでございます。私も甲府の鳥もつ煮の土橋さんと一緒で市役所の職員です。本来ならば皆さんご承知の渡辺英彦富士宮やきそば学会会長がここに登場すべきだろうなということで、まず最初に彼に振ってみたんですが、今月は16回の講演がありまして、どうにも日程調整ができないということで、かないませんでした。
 彼も損保の保険会社、10年前までは本当に堅気の素人のサラリーマン、いや社長だったんですが、いつのまにかこのように全国を行脚するような講演活動に走って、富士宮やきそばのPR、あるいは富士宮市の活性化、もっといえば最近は愛Bリーグ・B-1グランプリということで食をもって日本を元気にするという、まさに富士宮の地域のうねりから、全国への列島のうねりへという、こんな形でどんどん輪が広がってきて、本当に多忙になっています。
 昨年、富士宮やきそば学会の活動がちょうど10周年になりました。昨年暮れに10周年の記念式典をやりまして、その中で「地域おこし虎の巻」という本を作成しました。この中に10年間どうしてこうなったかということを虎の巻としてまとめております。10年の活動、経済波及効果ですが、約439億円という数字になっています。とてつもない金額です。それに関する行政予算はゼロであり、ボランティアサイドからは行政予算ゼロのまちづくりと言い表しています。
 10年前には富士宮やきそばという言葉は存在していませんでした。焼きそばは存在していましたが、富士宮やきそばという名前はまったく存在していなかった。10年前に皆で考えて富士宮やきそばという名前をつけ、今でこそ地域ブランドに確立してきている。観光客もやきそばを食べにくる人たちが年間約60万人。はとバスもやきそばツアーということで毎日来ています。土、日曜日になると2、3台は東京からやきそばを食べに来る方を連れてきていただくということで、いろいろなかたちで経済波及効果が出てきているわけです。
 富士宮やきそばがどうしてできたかと申し上げますと、きょうご一緒の甲府市さん、富士市さん、富士宮市とまったく同じテーマで、それぞれ中心市街地活性化、商店街の活性化をテーマにしていました。平成10年当時、国を挙げてまちづくりを、中心市街地をどうにかしようということで、中心市街地活性化法、それから大店法が立地法になって、都市計画法の改正がありまして、この3つの法律で中心市街地を活性化させるんだという、これを国を挙げて、内閣府に事務局を置いて経済産業省から農林水産省、すべての省が集まりまして全国号令のもとに手掛けてきました。富士宮市もそういう流れのもとに、商工会議所と市が一緒になって町の再生をどのように図るかということでけんけんがくがく議論したのが平成11年当時、もう10年以上も経ちます。その中で当時はまちを活性化するには富士山、これを何とかしようとか、そこから湧き出る湧水を何とかしようとか、あるいは全国に1300ある浅間神社の総本宮が富士宮にありますので、この総本宮を生かした門前町を何とかしようじゃないか、いろいろさまざまなことが出てきます。そしてこれを60人の市民の方が集まってきて皆で議論して約2年間かかりました。そのとき、たまたま私が担当で中心市街地の活性化という、そういう事務分掌をいただいていまして、ワークショップを市民の方と手掛け始めたのが平成11年でした。60人が集まり、その中のたまたま一人に渡辺英彦さんという方がいて、彼が積極的に手を挙げてくれました。彼は渡辺英彦ですが、私は渡辺孝秀で、よく質問されますが、親戚かとか兄弟かと聞かれますが、血筋も関係なくて、仕事で彼とたまたま付き合い始めた、そんな感じです。そのころの彼の存在というのは今のようなかたちではなく、ただ単に1民間人、損保の会社の人間でした。彼はたまたまその時にJCの理事長を前年やってまして、ちょうど理事長を終了して手持ち無沙汰になっていたというそんな時期に、私どもの方で市民まちづくりワークショップを募集したわけです。彼自身はJCの活動も終わってまちづくりの研修も終わって、さてまちづくりをどうしようか、ライオンズクラブへ入ろうか、ロータリークラブへでも入ろうかと、そこへ行っちゃうとまたかばん持ちをさせられるなと、いろいろ考えていたようですが、それよりも、ここでちょっとせっかくワークショップに参加して何か青年会議所で鍛え上げたものを、まちに生かそうということで、参加していただきました。そして60人の中で議論に議論を重ねるんですが、2年かかっても富士宮やきそばという言葉は全く出てきませんでした。
 2000年、平成12年の後半になりまして富士宮やきそばというよりも富士宮には戦前から駄菓子屋に鉄板がありまして、そこで焼くお好み焼きがうちのほんとの地域の食文化として定着していました。そこに戦後、焼きそばというメニューがその駄菓子屋に登場してきます。富士宮には現在、製麺会社が4社ありますが、このうちの1社の会長さんが、戦時中シンガポールでコメでつくるビーフンに出合いまして、そのおいしさが忘れられずに、日本に帰ったとき、たまたまコメがないので、当時GHQの配給があった小麦でビーフンもどきをつくろうということで出来上がったものが富士宮の焼きそばでした。それが富士宮流の蒸し麺の焼きそば、ゆで麺で手がかからない焼きそばではなくて、水を極力排除する。当時は女性の方がうちわでちょうど空冷のようにあおって水分を排除するむし麺という焼きそばが出来上がりまして、これが綿々と戦後から50年、60年の歴史で富士宮の中では、お好み焼きと合わせて焼きそばというものが好まれていました。そんな状況であったのが10年前です。そしてまちの中を皆でタウンウオッチングしたときに、だれかれとなく、「富士宮のまちは鉄板のある駄菓子屋が多いよね」「そこのお好み焼きがおいしいよね」。もっと言うと「焼きそば、これはほかのまちにはない特徴がある」。そういったところからいろいろ議論し始めたらだれもかれもうんちくを語り始めた。こんなにうんちくがあるのであれば、焼きそばでまちおこしができるだろう。店の数も多い、そして特徴がある。この2点をもってすれば全国に発信できるのではないか、ということで、急きょ富士宮やきそばというのを立ち上げました。当時13人でした。
 富士宮には富士宮やきそば学会なるものがあるということでNHKが取材してくれました。NHKが「富士宮は知られざるやきそば王国」というようなタイトルで発表しましたので、いろいろな民放さんが急いで連日のように取材をしてくれまして瞬く間に県内では知られざる富士宮やきそばから、あっという間に「やきそば王国」というようなかたちになっていきました。そして矢継ぎ早にどんどん情報発信をすることによって知られざる地域ブランドが1つの確立された地域ブランドに仕上がっていく、というようなことになっています。そのもようを静岡新聞社さんは、やきそばが出る前から取材をしていただいて、市民まちづくりワークショップをやった記事、そしてやきそば学会なるものができて、社説にも取り上げてもらいました。
 やきそばからがんがん盛り上がりまして富士宮市は小室市長が誕生して食のまちづくり、フードバレーへというまちづくりを提唱しました。そしてやきそばからフードバレーへという食のまちづくりが盛り上がっていくという、これはまさに静岡新聞社さんがつぶさに取材をしていただきまして発信をしていただいた。こうした情報発信を基に、現在の富士宮やきそばがある。そんなかたちです。ちょっと足早に歴史を追ってみました。



生かすも殺すも活動次第


新潟大学法学部教授
田村 秀氏

大石 3人からそれぞれご当地グルメをスタートさせるきっかけということでお話をうかがったわけですが、ここで基調講演をしていただいた田村先生にアドバイスをお願いします。素材選び、まさにスタート部分のポイント、どういうものを素材として選べば、ここにいらっしゃる方たちのようにうまくいくのか。そしてそれをどうつなげていけばいいのか素材選びのところで注意すべきところとか、これがポイントになるというものがありましたら聞かせてください。
田村 基本的には、何が良くて、何がいけないということは素材としてはないんですね。その地域で愛されているものであればいいでしょうし、また新しく作ったものであってもそこにきらりと光るものがあればそれは伸びていく。いずれにしても、3人の話で共通するのは、立ち上がりのところがすごく良かったですね。富士宮さんでも98年から2年、3年の間、とりもつ隊の方もこの2年、3年ですし、つけナポリタンはまさに2年、3年のところに今なっているわけですが、そこにやはり勢いがあるんです。それは素材以上に、人だったり組織だったり、強い思い。それらは地域に対する思いだし、これは何とかしなきゃいけないという気持ちがこもる。そこに食に目が行ったということで、おそらくどれが良くてどれがダメということはないと思う。生かすも殺すもそれぞれの活動次第じゃないかなという感じがします。ですからメニューがいいからというものではないと私は思っています。むしろそれぞれの活動のやり方を参考にしていただきたい。
大石 素材は何であってもいい、それをどのように仕上げていくかということが重要ではないかというお話でした。それでは具体的に最近の活動の状況とか、肩書をご覧になって分かるかと思いますが、3人はそのものの料理を作っている方ではありません。いかに地域とかかわっていくか、ご自身のポジションと地域活性化につなげていくご苦労などを聞かせてください。小川さんから伺いたいと思います。


ゼロから42店舗


小川 わずか2年あまりですが取扱店が42店になった。手前味噌ではありますけど、決して遅いスピードではないと思っています。ここに至るまでにはやはり意識して活動してきたことがいくつかあります。主には3つ。まず先ほどご紹介したように元祖であるお店を使って定期的にレシピを公開しての講習会の開催ということですね。先ほど飲食店の皆さんをお迎えして、とお話ししましたけれど、実はそこに至るまではいわゆる飛び込みの営業みたいなこともやりました。飲食店に突然入って、実は私たちはこれを使ってこんなことをやっているんですが、もしご賛同いただければ、講習会を開催していますので、ぜひご出席いただけませんかということでやってまいりました。
 これは多分ユニークな取り組みではないかと思いますが、私どもは開発型ですので、学校給食に採用していただきました。これも黙って見ていただけではやっていただけませんので、まず教育長に直談判に行きました。教育長から校長を紹介していただいて地元の小学校の校長に、直接お願いに行って学校給食に取り上げていただいたという経緯があります。これは地元の吉原の小学校でしたが、今はそこから飛び火して私も今どれぐらいの学校で、どのくらいの頻度でつけナポリタンが提供されているのかは、正直言って把握できていません。おかげさまでそれぐらい、つけナポリタンが学校給食で普及してきています。
 それから市民への浸透のために、これも開発型ゆえにですが、何をやってきたかというと、2月27日に開催の予定ですが、つけナポリタン祭りがあります。市民の方々は開発型に対してだけでなく発掘型に対してもそうなのかもしれませんが、意外に冷めた目で見ていらっしゃる。その方々にどうしたらいいのか、と考えたとき、あっちこっち食べ歩きをしていただきたいと申し上げても皆さん動いてはくれません。そこで1カ所で何店舗か、いくつか、何種類か食べていただくと、もう少し市民の皆さんに普及していくのかなということも考えました。つけナポリタン祭りは今回で3回目になります。おかげさまでこれもだいぶ浸透してきたのかなあと思っておりますが、正直申し上げて少し手詰まり感があります。これからさらに発展させていくためには何か新しい手法を考えなくてはいけないかなあ、というところです。
 今日はこのホテルの玄関近くに私どものラッピングカー、ど派手な車ですが、イタリアンカラーの白、グリーン、赤ですか、このラッピングカーを置かせていただきました。ビジュアルに訴えると言いますか、目で見て分かりやすい、そんな効果を狙ってラッピングカーを作りました。実はこの車は商店街の持ち物です。この車は中古車です。多分今や車本来の価格よりもラッピングの方が高いじゃないかと思っています。ただラッピングカーというのはかなり目立ちますので、それなりの宣伝効果を果たしてくれていると思います。そのほかに、オリジナルグッズ、キャラクター、たくさんあります。今、ゆるキャラがブームになってますね、彦根城のひこにゃんから始まりまして、私どもも先ほどTシャツをご覧いただきましたが、ナポリンというキャラクターがあります。着ぐるみも作りました。それからナポリンエンジェル隊というのがあります。これは富士、富士宮、隣の富士宮の子供さんも実は入っていまして、非常にかわいいです。赤いトマトを擬した衣装を着まして踊ってくれます。歌って踊ってくれます。
 それから同じような効果で、Tシャツ、トートバック、あるいは携帯電話に付けるようなストラップも開発しました。いつもそういうものを身近に置いておく、持っていただくことによってつけナポリタンをいつも意識していただく。そこを狙って作りました。ナポリンエンジェル隊のところでお話ししたように、目で見るだけではなくて耳から入ってきてそれが忘れられない、忘れないようにということで、ナポリンズが歌うためだけじゃないんですが、公式応援ソング「ボンジョールノナポリ」というものも作りました。CDは500円で販売しています。私たちの活動費の一部になりますので、できましたらぜひお買い上げいただければ幸いです。さまざまなことを目に耳に訴えかけながら、いつも忘れない、忘れられないように、つけナポリタンを皆さんに覚えていただくためにということで、さまざまなことをしています。
 地域活性化に対する経済効果ですが、もちろんありました。先ほど渡辺さんのお話にありましたのは439億円。残念ながら私どもはとても及びません。いずれはそこを目指して私どもも頑張っていきたいと思っていますけれど。私どもは取扱店がゼロからもう42店になったということで、それだけ売り上げがプラスになっています。オリジナル麺はテレビ東京とコラボしたもので、最初は東京でオリジナルの麺を作っていました。それではもったいないということで、今では地元に持ち込んで地元の製麺会社で作っていますので、もちろん経済効果はあります。
 特に週末になりますと、ある店では百食ぐらいつけナポリタンが出ます。どれくらいの経済効果があるかといえば、けっして大きくはありません。いわゆるB級ご当地グルメとしての売り出しですから、750円から高いもので1480円です。百食売ったところでいくらかは簡単に計算できることですが、それだけでもプラスになっている、そんなことを考えていただければなるほどなと、ご理解いただけるのではと思います。私ども商店街では駐車場経営をしていますが、そこの駐車場はちょうど商店街に隣接しているので週末になると、県外ナンバーが特に多くなります。そんなことを見ましても、それなりの経済効果があると思っています。
 ここでうれしいことは、そういうことによってまちが少しずつですが、活性化されてきまして、まちの中からじゃあ私も、私もということで、今やっとここへ来てそういったまちづくりに対する熱い機運が盛り上がってきています。具体的に申し上げますと、例えば和菓子屋さんでも、じゃあナポリまんじゅう作ろうかなとか、あるいは時計屋さんではオリジナルの時計を作ってみようかなと、非常にうれしい効果が出てきています。今現在は残念ながら遠くから来ていただいてもつけナポリタンを食べてそのまま帰ってしまう。これから私がやろうとしていることは、せっかく遠方から商店街を目指して来ていただいていますから、その方々をどうしようかなというのが課題だと思っているので、実は次の手を考えています。
 それはどんなことかというと、吉原は宿場町なので、古いもの、神社とか、お寺が結構あります。そういったものを地図上に落としていってちょっと短い20分、30分で歩けるようなモデルコースを作ったウオーキングマップみたいなものを作ってみようかなという考えです。その中にナポリまんじゅうはここで買えますとか、オリジナルの時計はここで買えますよ、あるいはストラップはここで買えますよと話題をちりばめればまちの中をもっともっと多くの人に歩いていただけるんじゃないかということです。こういったことはおそらく、甲府さん、富士宮さんの方が先輩なのかなあと思っていますが、私は私なりにそういったところも考えて取り組んでいます。
 今後のこと、私自身のポジションについてですが、われわれはまだまだ参加できるお店を増やしていって受け入れるお店を増やさなければならない。多分もっとたくさんの人が来てくれることを想定しています。そしてB-1グランプリ姫路大会には何としてもエントリーしたい。したいと思っているのは実は直前にならないとはっきりした答えをいただけないので、頑張って何とかエントリーしていきたいと思っています。私どもの最終目標はB-1グランプリにエントリーすることではもちろんございませんし、両脇にいらっしゃる方(甲府、富士宮)のように、B-1にエントリーして上位入賞を果たせば、全国各地から本当に多くのお客さんに来ていただけるわけです。これによってまちが活性化していく。究極的にはそれを狙ってのことです。何とか上位を目指し、もっともっと吉原に、富士に来ていただきたいと思っています。
 既に富士宮さんはそういう状況にあります。甲府さんもそんなふうにされると聞いています。私どもも将来的には法人化に向けて、それがNPO法人なのか一般社団法人なのか、まだ未知数なところもありますけれど、そういったことに向けて準備を進めていきたいと思っています。


続々とやきそばチルドレン


富士宮やきそば学会運営専務
渡辺 孝秀氏

大石 こうした動きをずっとやられて来られたのは富士宮市さんかなと思います。地域への波及も考えてやって来られました。
渡辺 限られた時間ですので概略をお話します。いろいろなところの人たちが富士宮やきそばを参考にと視察に来たり、私も出掛けたりしますが、やはり立ち上がり、これをどうするかということが非常に大きいということを話していまして、きっかけづくりですね、これが非常に重要だという話をさせていただいています。富士宮市で言えば、まちなかの再生という大きなテーマで多くの市民が集まってきたという部分ですね。それから先ほど田村先生が宝探しと言われましたが、われわれも行政と市民が一体となって宝探しを一生懸命して、一つのツールとして富士宮やきそばという、当時でいえばまだ焼きそばでしたが、やきそばというものを発見して、それに富士宮やきそばというネーミングをしたわけです。ただ存在するだけではだれにも知られていないわけですから、いかに知らせるかということで、その情報発信がすごく重要だということで、そのためにはいかにやきそばというものに付加価値をつけるかと、ここに終始いろいろ議論を重ねてきたわけです。その付加価値、話題性を、渡辺英彦会長はおやじギャグというような言い方でやっておりますが、さまざまなそういう仕掛けをして、例えばコンサートで言えば一つ一ついろいろなものがあって全体でオーケストラとして曲を奏でるみたいな、そんなかたちを目指しながら、そして多くの市民がそれぞれの役割を持ってそれぞれ得意分野を発揮してくれたというのがすごく大きい。
 10年前ですから、まだそんなにホームページも、われわれもホームページが得意ではなかったんですが、ホームページを作りたいということになると、あそこには誰がいると積極的に参加してくれる。いろいろな方が出てきてくれたわけで、たとえばやきそばを北海道まで焼きに行く。やはり仕事をしていますので、2泊3日ではなかなか行けませんが、そうしたときには主婦のおばちゃんが出てきて焼きに行ってくれるとか、さまざまに持ち場、ポジションを考えながら、足りないものについては手助けしてくれる人を連れてきて、皆でもって協力してやっていく。そこに一つの話題性というものがあって、その話題性をどんどん継続していく。一発勝負ではすぐ消えてしまいますが、ちっちゃな話題性を毎日のように連日報道に出したりメディアに出して。来ていただいた観光客にも発信していく。来ていただけるかな、と思いつつも発信していく。そういうところで手を変え品を変えて。そんなようにして一つの地域ブランドというものが出来上がっていくわけです。
 全国で地域おこし、食で地域おこしをしたいというところがいろいろ現れまして、一番最初に富士宮に見えていただいたのが八戸の方々です。彼らは富士宮やきそばと同じようにせんべい汁というのが普及し、定着した食文化だということで、視察後に八戸せんべい汁研究所を旗揚げし、八戸ではものすごく盛り上がった。次には北海道の富良野。あの「北の国から」の富良野から市の職員、市民の方も視察に来てくれて、もう北の国からだけではまちづくりは難しい、次の手を打たなければということでした。富良野ではニンジンやらジャガイモやら玉ネギ、そういう食材を生かしたいということで、当時の彼らは富良野のカレーを創作し、富良野カレーで行きたいということで立ち上がる。全国でそういうようなところがたくさん立ち上がりました。やきそば学会の会長に言わせると、やきそばチルドレンということになりますが、そのような人たちが八戸で非常に盛り上がりまして、八戸で第1回のB級グルメのまちおこしの大会を開こうということになりました。
 ここにはB級グルメと書いてありますが、愛BリーグではB級ご当地グルメと「ご当地」という言葉を入れております。そのB級ご当地グルメは安くておいしい、そして市民誰もが愛している、そういったものをまちおこしに皆で使っていく。集まったときは平成18年でしょうか、10団体でした。その次は富士宮に来て22団体とだんだん増えて久留米、横手、そして皆さんご存じのように昨年は厚木で開催しました。そのようなかたちで、それぞれがネットワークを張っていくことによってますます相乗効果が生まれ、それぞれのまちが効果を高めていくという、そんなかたちになっていると思います。
 富士宮やきそばとしてはここまで広がってきましたが、さらにさらにもっといろいろなかたちで全国への波及を考えたいと思っていますし、こうしたノウハウをそれぞれ富士宮なら富士宮の地域の中の活性化に生かして、もっともっと進めていきたい。


反省とおもてなしに徹する


大石 昨年、ゴールドグランプリをB-1でとられた土橋さんにお聞きします。どうして短期間にできたのか、組織、リーダー性、地元の協力とかも含めて。そしてまちがどう変わってきているのか、影響や経済効果にも触れてください。
土橋 どうして君たちは2年6カ月で成果を上げられたかということですが、われわれは厚木大会当日の9月18、19日で徹底したことが1つあります。味についてはどこも日本一の団体が集まっているので、われわれは企業で言うと新規顧客の開発みたいなものはやめました。PR班というのがありましたが、おもてなし班に変えました。なぜかと言いますと、われわれは前年の横手大会に行っているんですが、すべての団体のところにそれなりに並んでいました。われわれは知られていないので並ばないかなとも思いましたが、前年に並んだ影響というのを聞いていましたので、われわれのところに並んでくれた方を大切にしようということで、徹底的にそこの30分までに召し上がっていただくことを戦略的にやりました。まずどういうことをやったかと言いますと、われわれは縁をとりもつということを言っていますので、勝手に神社を設けましてその前に鳥居を作りました。熱い盛りですのでドライアイスを敷き詰めて、そこを通っていただいてから鳥もつ煮のゾーンですということで、そのゾーンを通れば神社ですから、女性が巫女(みこ)さんの格好をしまして、そこで甲府の見所をちりばめたうちわを渡したり、おしぼりを配ったりしました。そしてうちわの中にちょっと入れたんですが、待っているときに皆さんよく携帯電話を見ている方がいらっしゃいますので、この中にQRコードを入れましておみくじを4つ入れました。自分たちで勝手に大吉、中吉、小吉、末吉と作ったんですが、それを見て楽しんでいただこうということを徹底しました。またよく言われるのですが、お子さんというのは待つことに対してすごく臆病なところがありますので、お子さんにもおみくじを引いてもらおうということで、小学生以下のお子さんがいるご家族にはお子さんにくじを引いていただきました。そのくじに当たった方にはわれわれが作ったハンドタオルとか、ノベルティーグッズとか、ゆるキャラのキーホルダーを配りました。そのほかにはよくテレビに出ていますが、大の大人が黄色いヒヨコの格好をしてずっとマイクパフォーマンスをしたりとか、その曲が流れたら踊ったりとか、目でみる楽しみとか、そんな中でこのようなやり取りを聞くことで耳でも楽しんでいただくということで、おもてなしの部分を徹底しました。
 どうして徹底したかと言いますと、われわれは1万食以上は出すことができるかなと思っていました。これまでイベントに出るにあたっていろいろ反省してきましたから。何かいいことばかり言っているようですが、われわれは反省する団体とよく言っているんですが、常に慰労会と言ってイベントが終わったら集まります。必ず出るのがきょうはここがダメだったとか、お客様からこのような苦情があった、おしかりを受けたとか、そういったことで、一つ一つ苦情を詰めて話し合える団体です。B-1グランプリのときも、中間発表で1位という結果をいただいて、ほんとでしたら平均年齢30歳ぐらいの若造たちなので、浮かれて酒ばかり飲んでいると思うんですが、その時の反省会で出たのはあしたはどのように対応するかなと、あしたは30分なんてものじゃはけない、2時間近く待った時にどのようにして楽しませるか。真剣にそういったところを皆で反省を述べて一つ一つすりつぶしていったところかなと思っています。料理については甲府の宝である鳥もつ煮に、われわれは勝手に甲府と付けてPRしているので、それについては自信がありました。ほかの団体もそうだと思いますが。それ以外にわれわれが勝手連として市民活動としてできる部分というのは甲府のおもてなし、とりもつ隊のおもてなしを楽しんでいただこうというところだと思います。その結果を受けまして今回、ゴールドグランプリをいただきました。
 業界では鳥もつ煮関連商品の売り上げがアップしています。たれの醸造メーカーの売り上げアップとか、肉屋さんも2倍から3倍と増えていったりとかしています。これは愛Bの先輩団体もよく言うんですが、後継者問題の解消じゃないですけど、お蕎麦屋さんが結構メーンになっているので、雇用の拡大も出ています。雇用については老舗店では倍以上の雇用が出ていたり、さらには他の業界への影響として甲府というのは宝飾産業日本一のまちでもありますので、そういったところが、ゆるキャラのバッジを作ったりとか、縁をとりもつですからとりもつブレスというブレスを作ったりとか、他業界への好影響が生まれています。
 市民がどう変わったかと言いますと、あの鳥もつ煮がということで驚きじゃないんですが、まあ喜びということで、よくやったじゃないですけどいろいろお褒めの言葉をいただいているところです。自信を持って誇れる料理になったということで、県民性じゃないですが、よく山梨は何もない、甲府は何もないと言っていた市民が今は自信を持って鳥もつ煮があるということで、自分たちが自らスポークスマンになるような状況になってきたことがわれわれとして一番うれしいと思っています。
 行政については観光戦略の変化が出ています。われわれはB-1団体の中で唯一、地名も料理名も入っていない団体名です。みなさまの縁をとりもつ隊という団体名ですが、僕らは甲府を元気にしたいと言って集まりました。甲府を元気にするにはすべての皆さんと縁を取り持とうということで、きょうも皆さまと甲府の縁を取り持とうということで来させていただいております。甲府はワイン醸造発祥の地です。甲府の夜景は平成百景で函館に次いで第2位になったりとか、宝飾産業日本一のまちとか、昇仙峡があったりとか、そういったところでいろいろな宝があります。今、不思議な現象というか、B-1グランプリのおかげではあるんですが、鳥もつ煮というものを目的に甲府に来ていただいているので、今お蕎麦屋さんにランドマークになってもらっています。そこにきょう皆さまにお配りしたパンフレット「甲府遊歩」を置かせていただいて、そこで観光客の皆さまに「甲府を楽しんでください」と一言添えてそれを渡してくださいとお願いしています。


地産地消とB級ご当地グルメの関連は


大石 甲府さんの経済効果はヴァンフォーレ甲府のJ1昇格以上の効果があるとお聞きしています。ところで会場にはいろいろな方がお見えになっていますので、ご来場者から質問などをお受けしたいと思います。
来場者  私は静岡市内で飲食店に勤めていて実際にコックとして料理をやっていますが、うちの会社でも静岡バーガーなるものを作ればということを考えていたので、今回勉強させていただきたいと思ってまいりました。まずお伺いしたいのはB級ご当地グルメとはまず何なのかという部分において、地産地消がうたわれている中で、実際に地元食材を使っている場合というのが非常に分かりやすいかと思いますが、B級ということで価格の面を考えると、地元食材をふんだんに使うのは難しい状況にあります。実際に鳥もつ煮や富士宮やきそばのように郷土料理として本来的にあったものであれば分かりやすいんですが、つけナポリタンのように開発型の場合は、そもそもの定義が非常に難しい。私の場合、レストランの一社員といいますか、一つのお店としてやっているので団体ルールがあるわけではないので、果たして本物とかオリジナルというものがどんなものなのか、お聞きしていて難しいなと感じています。
 土橋さんの文章の中でも最終目標として消えてなくなることと、僕たち必要ありませんということが書かれていますが、皆さまの団体で一番大事にされていることを教えていただければと思います。

大石 最初の質問へのお答えは田村先生にお願いします。
田村 そもそもB級グルメとかB級ご当地グルメとか、あんまりガチガチの定義を意識する必要はないと思います。B級という言葉は嫌いだから使いたくないという人もいる。それはそれで構わないと思います。ただ地域性とかこだわりを持っていただけると、多くの人が関心を持つだろうと、その際にガチガチの地産地消、もちろんそれもいいと思いますが、そうではなくても1ポイントとか2ポイント、例えばつけナポリタンさんならすべての店でなくてもサクラエビがちょっと入っているとか、そういうちょっとしたこだわりがあればいい。そしてそれぞれのお店はお店で輝いていただければいいのでは。店の専売特許みたいなものがあるかもしれませんが、多くのご当地グルメというのはどこかのお店が開発したものがだんだん広がっているようなものですから、うまくほかのお店にも波及していくと地域にとっても良くなるんじゃないかと思います。
土橋 私がご用意させていただいた資料の中で、消えてなくなることと入れさせてもらったんですが、私が鳥もつ煮を何とかしたいと思ったときに参考にさせていただいたのが、宇都宮さんの餃子です。皆さんご存じではないかもしれませんが、宇都宮餃子は平成2年に宇都宮市の当時42歳の係長さんが総務省の統計調査で餃子の使用量が一番多いということに気付いたところから始められています。市職員が立ち上げたけれど、現在はもう飲食業界に移り、(当初の団体は)きれいになくなって消えているので、われわれの目標もそういうかたちにしたいということです。昨年12月下旬にNPO法人をつくり、市民のソウルフードは市民の皆さんが守る体制を作ったらどうかということで今申請をしています。来年4月までにはできますので、NPO法人ができましたらわれわれは運転席から助手席、そして後部座席へと移っていって、消えてなくなるというと無責任になりますので、何がしか携わっていければなと思っていますので、そういった目標を持っています。
大石 富士山ろくグルメルートというか、連携ということが今回の大きなテーマです。これからの自分たちの活動と広域な連携というところを短くお話しください。
渡辺 渡辺英彦会長も提案していますが、静岡から甲府へとふじかわ号ビューが出ていて、私もJRに提案してきたんですが、ふじかわ号ビューではなくてふじかわ号Bなるもの、B級ご当地グルメのB、富士川沿いのB級グルメを旅する、そういったものはどうだろうか。あるいは富士急でいうと大月まで、吉原からまさに大月までバスが出ているのでB級グルメの旅、そういったものをどんどん旅行会社とかそういったところで提案していただけないかなあと思います。富士宮ではスカイグルメということで、富士山の周り、環富士山ですね、スカイグルメと合わせて静岡、神奈川、山梨、ここを環富士山のグルメということで結んでいただいて。今年も信長公まつりで開催させていただいて富士市さんにも甲府市さんにも出ていただいたんですが、さらに、織田家、武田家の戦いとかですね、そういった話題を満載させながら、地域色を出していければなとそんなふうに思っています。
小川 富士山ろくB級グルメルートに関しては、渡辺さんの一言に集約されるんじゃないかと思います。私が申し上げたいことは富士市長さんのごあいさつの中にもありましたように、環富士山ネットワーク会議というものを持っており、その中にはB級ご当地グルメなるものがございますので、まずそこから派生していって、そういったものを進めていければいいのではないかと思います。まして富士宮市さん、甲府市さん、それぞれB―1グランプリで、ゴールドグランプリを獲得した団体でございますので、そこに私どもが肩を並べるには少し時間がかかるかもしれませんが、全力を傾注し早く肩を並べられるようになればいいなと考えています。
土橋 甲府で問題なのは1時間半で東京から来れる距離なので、宿泊客が少ないことがあります。宿泊客を増やすには泊まる目的を作らなくてはなりません。朝の富士山、日の入りを見てくださいのようなものを考えてはいるんですが、きょう渡辺専務からも出たように、うちは中央道、富士宮市さんは東名、富士市さんも東名があるので、いずれどちらかに泊まる。甲府に泊まるのか、富士宮、富士になるのか分かりませんが、B級グルメの旅のようなものを商品開発できればと考えています。中央道で来て東名で帰るでもいいし、東名から来て中央道で帰るのでも、どちらでもいいのですが、それを市民活動団体同士でできれば素敵だと思いました。


もっともっと地域を知って


大石 まとめは田村先生に。推進団体の方が一生懸命やってらっしゃるということですが、行政とか、取り巻く方々はどういう関係を持って応援していけばいいのでしょうか。

田村 地域の活性化というのはすべての人が、ある意味総力戦にならなければいけない。そのとき、持ち場持ち場でできることをやっていただくということに尽きます。行政の場合ですと、いかに縁の下の力持ちになって支えていくかということ、私は特に商工会議所とか商工会の青年部にかなり期待しています。またそういう動きが各地で出ているので応援したいと思っています。その際、よく言われるのが、やる気、本気、勇気とか、よそ者、若者、ばか者とかいう言葉で称されますが、やはり失敗を恐れず頑張っていく、それしかない。精神論になってしまいますが、こういうリーダーたちが失敗を恐れずに頑張ったからこそ、今成果が上がっているんだと思います。1点だけ付け加えますと、皆さんがもっと地域を知らなければいけない、意外に地元の人が地元のことを知らないんですよ。もっと言えば、車ばかり使っていてまちを歩こうとしない。あらためて1時間、まちを歩いてみてください。私はきょう吉原のまちを1時間歩きました。そして結構面白いまちだと思いました。そういうところが各地にあると思います。ぜひ地域の再発見をしていただきたい。

大石 B級ご当地グルメをテーマにお話をしていただきました。富士山周辺にはいろいろな素材や料理がたくさんあります。これからも地域の食文化を大切にしたまちおこしが重要になってくると思います。サンフロント21懇話会としましても、こういったものを応援して市、町を、あるいは県境を越えた連携が重要になってくるので引き続き応援していきたいと思います。田村先生がおっしゃったように、まちを歩くことでいろいろな宝が見つかる、内需振興にもなります。一つの大きな方向ではないかなと思います。


 
< コーディネーター >

◇大石 人士(おおいし ひとし)
1979年静岡銀行入行。82年静岡経済研究所出向、2005年研究部長。地域振興ビジョンの策定、総合計画審議会委員、中心市街地活性化基本計画策定委員、自治体職員の地域課題研究講座講師などを務める。現在、キラメッセぬまづ運営推進協議会委員、藤枝市補助金制度検討委員会委員、サンフロント21懇話会シンクタンクTESS研究員などを務める。

< パネリスト >

◇土橋  克己(どばし かつみ)
  1973年甲府市生まれ。中央大学卒業後、96年甲府市役所入所、環境部、税務部、福祉部などに勤務。2008年みなさまの縁をとりもつ隊結成、10年9月のB級グルメの祭典「B-1グランプリ」で優勝した「甲府鳥もつ煮」の代表を務める。

◇小川 和孝(おがわ かずたか)
  1951年埼玉県生まれ。日本大学農獣医学部卒業後、74年アパレルメーカー「ニューヨーカー」入社、76年ブティック「タチバナヤ」入社。85年衣料品販売会社を設立し、代表取締役。2008年つけナポリタンプロジェクト立ち上げ、10年同プロジェクトをつけナポリタン大志館に改組。富士つけナポリタン大志館特命全権大志を務める。

◇渡辺 孝秀(わたなべ たかひで)
  1952年富士宮市生まれ。明治大学卒業後、77年富士宮市役所入所、現在は総合調整室長兼フードバレー推進室長。2000年中心市街地活性化基本計画の策定を担当、市民まちづくりワークショップを始め、同年市民と「富士宮やきそば学会」を結成し、運営専務を務める。 。



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